山越義雄さん
日本最高の強運男‘山越義雄’物語

日本最高の強運男‘山越義雄’物語 Vol.4
元総理大臣 田中角栄 ‘田中角栄’という人物を皆さんはご存知だろうか?
そうです、いわずと知れた日本の高度経済成長を担った有数の首相であった方です。

最近は、その娘の田中真紀子氏が、政界で大暴れされていますが・・・!

その田中角栄を世に出した原因の一旦を作った人物、それが、この山越さんなのである。

それでは、その山越さんと田中角栄との接点についてお話をしていきましょう。

山越さんが30歳の頃、当時、‘牛の人工授精’ができないか、ということがさかんに討議されていた。
というのは、メスの子宮にオスの精子を手で入れようとしても、その途中で‘トリコモナス’などの影響で、どうしても流産してしまったり、うまく卵子まで精子がたどり着けないという現実があったのだという。

しかし、ある時、山越さんは、万年筆の中のインクを入れているスポイトを見た時、これはひょっとして、精子を卵管に入れるのに役立つのではないか?とひらめき、そのスポイトに似せたガラス管を作り、そこに精子を入れ、理科の実験で使うスポイトのようなゴムをプクプクして空気を送るようなものを取り付けて、精子を卵管に送ることをやってみたのである。

すると、この発想がズバリ的中し、途中で菌によって精子がダメにならず、ほぼ確実に受胎することに成功したのであった。

すなわち、日本で最初の人工授精に成功したのが山越さんなのである。

そして、当時、新潟で、この牛の人工授精を必死に研究し、牛の売買をしていた人物がもう1人いたのである。
その人物こそ、後の総理大臣‘田中角栄’その人だったのである。

しかし、この人工授精競争に、田中角栄は山越さんに先を越されてしまい、後の牛の品評会に負けたことによって、運命の歯車が大きく狂っていったのであった。

競争に負けた田中角栄は、「これからは牛で生活はしていけん」といって、農家から足を洗い、知人の紹介で政治家になっていったのだという。

もし、田中角栄が、山越さんよりも早く人工受精に成功していたら、‘政治家’田中角栄は存在していなかったのである。

山越さん自身も、田中角栄とは一回も会ったことがなかったらしいが、間接的とはいえ日本の経済発展を支えた立役者であったことは間違いないようである。

人工受精を完成させただけでも強運であるのに、田中角栄を政治家として世に出すというダブルの強運は、山越さんしかできない・・・!

ちなみに、田中角栄の支援団体である有名なあの‘越山会’は、山越さんに負けた腹いせか、山越さんの名前を反対につけたとのウワサも・・・!



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