さて、楽しいはずのゴールデンウイークですが、今年は、コロナウイルスの影響で、ず〜と家にこもっています。
元来、アウトドアー派の店主ですので、家にいると、どうも脳が腐ってくるような感覚に襲われてしまいます。
この20年以上お留守になっている釣りや野球を満喫したいところではありますが、それもせずに家の中を動物園の熊のようにウロウロするのみです。
ただ、この際ですから、床のワックスがけだけはできたので、それはそれでヨシとしなくてはなりません。
何もしなければ、家もボロボロとなり、湿気による老朽化は避けられません。
また、家の問題で一番困っていることは、‘水漏れ’がしているということです。
水道メーターが、すべての水道栓を止めているにも関わらず、ゆっくりと回っているのです。
つまり、どこからか漏れており、これで水道料金が2倍以上になっています。
‘水漏れ’がするということは、霊的にも、運勢の滞りや身体の異変を現していることも多々あるとされるので、何とか早期に解決しなくてはいけません。
「 家 相 」でも、東北なら家を継ぐ‘ 長 男 ’の方位であるとか、北西なら‘ 家 主 ’の方位、南西は‘ 主 婦 ’の方位といわれるので、漏れている方位の象意に異変が起こっていることもあるのです。
単に水道管が破れてしまっていると思わず、いろんな象意からあらゆる変化を読み取る智慧も磨かねばなりません。
物事には、必ず「 前 兆 」というのがあることを、今まで再々お話してまいりました。
特に、「 水 」というものは、霊的なものの象徴であり、水回りをきれいに整えておくだけで、金回りにもすごく影響するといわれます。
究極のトイレ掃除しかり、キッチンのヌメリもしっかりと取るようにとの龍神の教えもあるくらいです。
また、多くの人が水を汲みに来る地下水が湧き出ている所もあるかと思いますが、そんな所には、必ずといってよいほど
「 水 蛇 神 」
という精霊が宿っているものです。
この‘水蛇神’が、何年、何十年と時を経て、龍神などに成長していくのです。
とにかく、水は、「 知 恵 」も現し、方位では「 北 」を象徴し、人間にとってもっとも大切な要素です。
聖人の老子は、ことのほか、「 水 」というものを尊びました。
水は柔軟で、器の形に収まるし、高いところから低いところしか流れず、「 謙 虚 」の功徳を持っていると称賛しました。
「 悪いことは水に流す 」
という言葉もあるように、本来の災難を水によって最小化するという意味でもあります。
今回のコロナウイルスは、とんでもなく被害を起こしていますが、本当は、もっとももっと怖い破壊を伴う災難が起こることを軽減化している象意が、今回のウイルスともされます。
確かに、たくさんの方がお亡くなりになっていますが、しかし・・・・
「 強烈な破壊 」
というものは伴っていません。
これが、もし、大地震、洪水が起こっていれば、建物までが完全に破壊され、人的、物質的破壊は、途方もなく大きくなってしまうのです。
今、ウワサされている首都直下型地震や南海トラフがまともに起こってしまうと、それこそ、想像もできない破壊が伴ってしまいます。
その災難をゼロにできなくても、コロナウイルスの災難で、ちょっとでも小さくしようとする神霊の慈悲があります。
神霊は、1石2鳥でなく、1石千鳥、万鳥の叡智で、わたしたちの救済をしようとしています。
もし、直下型地震や大洪水が日本に起こらなければ、外国、特に、日本がかつて支援してきたフィリピンや東南アジアで大洪水などが起こる可能性もあるのです。
本来、日本人が苦しむところを、経済的、人的にも支援した徳の貸し借りによって、支援された国が苦しみを受けることも・・・・・。
借金が1000兆円ある我が国が、経済的支援などできるわけはないのですが、他の国にもできる限りの支援をしてきたことは、まったく無意味であったということにはならないのです。
このようなことも理解できなければ、その場限りの損得計算しかできない人には、「 奉 仕 」という言葉の意味は永久に理解できません。
ところで、この「 奉 仕 」の仕えるということで思い出したのが、
「 仕 事 」という漢字の「 仕える 」の真の意味です。
仕事とは、事に仕える、と書いてありますが、一体、「 事 」とは何を意味するのか??
この事こそ、すなわち、「 神 」であり、自分の「 魂 」に仕えるということだとされるのです。
つまり・・・・
この宇宙、地球、日本、わが肉体を作った神に、仕事というものを通じて、もっと進化、進歩し、生涯を全うする、という意味です。
この理(ことわり)をもっともよく理解していたのが、あの松下電機の松下幸之助さんです。
あるとき、松下さんは、社員にこう話しました。
「 松下電機とは、何を作る会社ですか?? 」
と問われれば、このように答えなさい・・・と。
「 松下電器は人を作っています。電気製品も作っていますが、その前に、まず人を作っています。 」
「 製品を作るのが目的ではなく、人を作る一環として、電気製品を作っています。 」
と。
つまり、会社で商品を作るのが一番の目的ではなく、まずは、本来、人間のあるべき特性を磨くということを第一目標としているということだったのです。
まさに、人間の魂を磨くということの一環として、商品作りをしているということを言っているのです。
誰もが喜んでくれる商品を知恵を絞って作り、それが、また社会の生活を豊かにしていけるかを孤軍奮闘して、精進していくということが、松下さんの信念だったのです。
決して、売り上げだけを目的として人を雇っているのではなく、仕事を通じて、個人の限界まで能力を引き出し、そして、社会を豊かにするという使命をもっていたのです。
このような人ですから、ものすごい大金持ちであったにも関わらず、晩年には、
「 あ〜日本の国の将来が心配でおれん!! 」
と、自分の会社のことでなく、日本の国の将来を案じて、不眠症にもなっていたというのです。
まさに、国を真剣に思っていたからこそ、国中の人からも愛されたのでしょう。
前世も一国を収めたという人ですから、国単位で思いをはせる器であったといえます。
自分しか愛せない人は、やはり、愛される人の数も相当小さくならざるを得ません。
これこそ、作用と反作用の関係が成り立ちます。
村レベルで愛せば、村の人たちから愛され、国を愛せば、国中の人から愛されるということです。
これが、お釈迦様やイエスのレベルでは、生きとし生けるものすべてを愛しているのですから、すべてから愛されるしかありません。