店主 内藤
世の矛盾、スジの通らない事に店主・内藤が吠える!
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痛快!店主のひとりごと
店主のひとりごと Vol.373
不平等の平等
2018.04.08

本日は、仏教の開祖であるお釈迦様の誕生日です。

お釈迦さまに関しては、いろんな思い出があるのですが、一番の思い出は、お釈迦様の霊体がある場所に降りてこられた時のことでしょうか。



それは、もうかなり古いのですが、ある霊覚者の方とともにいる時に、観音様のボスである聖観音さまや菅原道真公などとともに降臨されたのです。


その時、ぞれぞれご神氣というものを伴って降りてこられたのです。


菅原道真公の神氣は、甘酸っぱいミルキーのような匂い、聖観音さまは、ハッカのような神氣、そして、お釈迦さまは、タンスを開けた時にするモスビーズ(樟脳)の匂いなのです。



正直、お釈迦様の匂いは、かぐわしい良い匂いとは思えませんでしたが、なぜ、モスビーズの匂いなのか??



これこそ、まさしく、お釈迦様が実践された「 6年麻麦(まばく)の行 」という、あの地上最強の修行をされていた時の匂いなのです。


今でも「 ラホール美術館 」に所蔵されているお釈迦様の修行の時の像があります。


1日1粒の麻と麦しか食べず、6年間耐え忍んだ時の姿です。




お釈迦さまのおられた時代は、「 苦行をしなくては悟りは得られない 」という風潮があったので、お釈迦さまも例にもれず苦行の道を進んだのです。


「 過去にも、現在にも、未来にもわたしより苦行をするものはいないだろう! 」


というくらい、通常の人間であればとっくに死んでいたであろう苦行です。



その時に骨と皮だけになって、衣服も骨にこびりついた状態であったその状態こそモスビーズの匂いの根源だったのです。


その極限の苦行を敢行しても絶対の悟りを得られずに苦しんでおられました。



しかし・・・・

ある時、どこからともなくある民謡の声が聞こえてきました。


「 弦が強けりゃプツンと切れ、弦が弱けりゃベロンベロン・・・ 」



この時、お釈迦様は、


「 今、自分がしている苦行というのは、弦が張りつめている状態であり、また、快楽にふけっては、弦がたるんで、良い音色は出ない! 」


「 そうだ! 極端では素晴らしい音色、つまり、最高の悟りは得られないんだ!! 」


「 肉体も絶食によって弱りきってもダメに違いない!! 」 

「 きちんと体力も整えて、そして、気力も復活させて最高の悟りを得よう!! 」



ということを思われ、ゆっくり立ち上がり、川岸のほうへ行っている途中で、ある少女に出会い、


「 お嬢さん、すみませんが、わたしにそのミルクがゆを一杯頂けませんか?? 」


と近寄り、その少女からのミルクがゆを飲むのでした。



その少女こそ、「 スジャータ 」という名の観音様の導きによっていた女性だったのです。



そして、息を吹き返し、体力と気力を取り戻したお釈迦さまは、「 宇宙即我 」という悟りも体得され、成道されたのでした。




お釈迦さまが唱えた仏教とは、一体、何を説いているのか??



となれば、神霊によれば、


「 仏教は、軽さを極める教えである 」


ということのようです。


つまり、何かにとらわれたり、想いがあれこれあると、死んでも死にきれずにこの世に執着心が残り、本来行くべき霊界というところにも行けず、幽界という地上に一番近いところでさまよい続けるしかないということになるのです。



ですから、幽霊というのは、実は、きちんと霊界まで行けず、幽界で止まっているので幽界にいる霊ということが真実なのです。


この幽界で留まっている霊体は、今でも日本だけでも数百万体以上いるのです。


特に、戦乱の時に、苦しい、悲しいという想いを残している人が未だにたくさんいるのです。


関ケ原、硫黄島、沖縄など過去の激戦区などは、今でもたくさんの未成仏霊が多いのです。



使命ある霊覚者も静かに救済している場合もあるのですが、それでも到底救いきってないのです。


特に、「 恨み 」を持っている霊が、もっとも厄介であり、なかなか改心しないのです。



「 わしは、この者から非業な仕打ちをされたのだ! 絶対、許さん! 」


という恨みの念こそ、人間が持つ最低、最悪な想念であり、未来永劫、平安な心地に留まることをさせない困ったこころなのです。



そこで、そのような人に対して、霊覚者の方も、

「 そなたがそれだけの仕打ちをされなければならなかった故を、神霊の許可を得て見せてあげよう 」



ということで、前世で人に対して残酷なことをしている所業を見せ、それが自分に返ってきているということを悟らせるのです。



霊覚者は言います。


「 人に憑いて病気にしてはいけません! 」

「 人を恨むことはいけないことですよ! 」


と言葉で説得しようとして、


「 ハイ、わかりました!! 」



と聞き分けの良い霊など一人もいません。


数百年間も恨んでくるには、それだけの苦しみをうけているわけですので・・・・


ですから、最後の切り札として、その人の前世の所業を見せるしかないのです。



わたしも長い間、たくさんの霊を救済してきましたが、因縁因果は、馬の毛筋ほども違うことはありません。


苦しみも、喜び、幸せも、ほとんど前世のなしたものが返ってきているだけなのです。


どんなに働いても生活が一向に楽にならない人もおれば、別段苦労という苦労もしなくても、そこそこの生活が出てきてしまう人もいるわけです。



神霊は、これを


「 不平等の平等 」


と呼んでいます。


つまり、まともに働くことなくとも、親の財産で生きている人もいるけれど、それはそれで、前世で人に施しをしたとか、何かのプラスのことをしている可能性はあるのです。



しかし、野麦峠のように、人を糞みそのように働かせて、自分はお金だけを搾取したとか、国をだまして生活保護をもらったとかという場合は、来世は非常に苦しむことになるのです。


ようするに、今(現在)だけを見るから不公平に見えるけれど、前世はそれだけのことをしているので平等ということです。




お釈迦様の生きておられた時代に、何年もお釈迦様の元で修行していた弟子がおり、ある時、新らしく入ってきた人がおり、その人が古い修行弟子よりお釈迦さまが位を高くしたのです。

「 お釈迦さま、わたしはあの者よりはるかに長く共に修行をしてきたのに、なぜ、わたしより上なのですか?? 」 



すると、お釈迦さまは、


「 そなたは、わたしと共にして3年であるけれど、あの者は、前世よりわたしと共に修行してきているのだ!! 」


「 それからだと、そなたよりはるかにわたしと長い間修行をしていてので平等である 」



ということを言っておられるのです。


ということですから、わたしたちは、死ねばそれで終わり!!ではないので、次の世に今の学んだことも生かせるということで、しっかり、この尊い日本で学べるものは学びつくさねばなりません。



生活ができればそれでOK! そんな魂が悲しむ境地ではもったいないのです。


神霊は決して強制はしません。


あなたは、あと何年生きるのですか?


魂が一番喜ぶことは何か知っていますか??



それは、


「 感動すること 」


なのです。


歳とともに感動することも減ってきているでしょう。


アインシュタインの言葉に、


「 神秘に触れて不思議、驚きの念に打たれ感動しない人は、死んだも同然である 」


鋼鉄のような固定観念を破れるものは、ただ、感動しかないのです。