さて、親類の葬儀、その他で、目まぐるしくしていたせいもあってか、コラムの更新が遅れてしまいました。
今流行の風邪を引いて唸るようなことはなかったのですが、更新が遅れていることに心配をおかけしたかもしれません。
それでは、久々のお話をしたいと思います。
フと気づいてみると、今回のコラムが、何と‘ 369 ’にもなり、よくもまあ続いたものだと自分でも関心しました。
そして、神霊がもっとも望まれている「 ミロクの世 」という理想世に符合する「 369 」という号数になりましたので、このミロクについてお話ししたいと思います。
以前より、神道家の間にも広まっていた‘ミロクの世’というのがあるのですが、皆さんは聞いたことがありますか?
各宗教の間でも、この‘ミロクの世’というのは、キリスト教では「 天国の世 」であり、密教では「 密厳浄土の世 」、そして、お釈迦様の説いた仏教では、「 弥勒菩薩が降臨する世 」などと言われます。
ようするに、何か素晴らしい、人類、皆が幸福となる世になるような雰囲気です。
では、その理想世とは、一体、どれくらい先の話なのか???
となると、店主のお聞きしているところでは、150年くらいは少なくとも先のようです。
「 なあんだ! それでは、絶対、自分たちは生きていないし、関係ないことじゃん!! 」
と思われた方! その考え方は間違っていますよ!
どんな物事も、いきなり完成することもないし、紆余曲折を繰り返して、徐々に、成長、進歩しているのですから、その過程こそがもっとも尊いのであり、結果そのものが尊いのではありません。
神霊は、成長していることを喜ばれているということですので、どんなに難しい数学が解けても、その人なりのレベルを絶えず進化させていなかったらダメだということです。
さて・・・・
「 ミロクの世 」とは、具体的には、戦争のない、世界の貨幣が統一され、人口も今よりも相当減った状態であるということですが、ここで最も大切なことがあります。
それは、ミロクの世の人間の中身の問題です。
では、「 人間の中身 」とは、どういうことか??
人と争わず、慈しみ、秩序を整える調和の心を持った人が、仕事や芸術、スポーツのあらゆる社会の場で、己の可能性を最大限に発揮させる、という中身がある状態と言われています。
ただ、もっと別な角度でいうなら、
私たちの眉間の奥にある魂の思い(良心の思い)が、日々考えている思考の中の損得勘定や誘惑にどれだけ勝っているか??
という、神霊が人間を評価する最大の評価基準を、ある程度クリアーにできている状態とも言えます。
あまりに大切なことですので、あえてもう一度言います。
神霊が人間を評価する最大にして最強の基準!
「 魂の思いである良心が、どれだけ誘惑や損得勘定に左右されずに貫かれてきたか! 」
であり、どういう想いで人生を過ごしてきたか? を問われるのです。
町の真の発展のために、道、ごみ処理場などを作ることに心血注いで政治活動をされている先生もおれば、通常の生活は、女遊びや違法な献金、裏金作りに精を出し、選挙時の票を取るために、偽善的に道を作るというジェスチャーをする中身ではお話しにならないわけです。
また、皆さんの気づいていないことでは、
「 魂が傷ついたりすることを無意識にしている 」
という点です。
例えば、失恋の時の心の傷を回復させられなかったり、色情に甘くなったり、自分にいかに正当性あろうとも、人を恨んだり、必要以上に落ち込んだりすることも、すべて魂の傷となり、水晶のような真ん丸の魂が、欠けたり、ゆがんでいるというのです。
実は、それこそが、将来の‘災いの種’となってもいます。
恋愛で深く傷ついた場合は、子宮や卵巣、乳疾患、そして、肺などに疾患が出てきやすいと言われています。
恐怖心にさいなまれすぎたり、希望がなくなると腎臓に、怒りは肝臓にと、肉体次元にも影響を及ぼしてきます。
なぜ、日本最高神域の伊勢の天照大御神の功徳の中に「 円満具足 」というのものがあるのか?
それは、「 円 満 」という文字を見てもわかるように、
真ん丸の水晶のような‘ 円 ’で本来あるはずの御霊が、なぜか欠けているのがわたしたち現代人の特徴なので、伊勢の神霊は、過度の執着心、悲しみ、恐れ、欲心の愚かさを悟らせ、足りない所を補うように導いていくということなのです。
まさに、太陽のような情熱に燃えた赤い丸い球体が、まさに理想ということです。
良心(魂の想い)に生きる、というのは、マンガとはいえ、「 サラリーマン金太郎 」のようなもので、神霊が明らかに人間界に降ろした、「 人間たちよ! こんな人になってくれ!! 」と叫んでいる内容です。
皆さんも、古本屋で立ち読みでも良いですから、「 サラリーマン金太郎 」を熟読しましょう!
世間の常識、しきたり、しがらみということに、そうではない! と絶叫している魂の想いのまにまに生きる一人の青年の生きざまです。
明治の革命を先導した吉田松陰や西郷隆盛などは、まさに、金太郎そのものでした。
ところで、わたしたちの眉間の奥に宿っている魂というのは、古事記に出てくるどなたかの神霊の分け御霊なのです。
自分の魂が、どの神様の分け御霊なのか? を知ることは、実は、この地球上で何かを知るということの中では最上級のものなのです。
なぜか??
それは、例えば、自分が医薬の神である少名彦(すくなひこ)の神の分け御霊であるとわかれば、医薬の道に進めば、魂が最も喜こぶ‘ 天 命 ’であり、三度の飯よりも好きで没頭できるものになるからです。
自分がどの神の分け御霊であるか? を知ることは、本当に千歳一遇のチャンスであり、それを判定できる霊能者も皆無に近いのが現状です。
まさか、フーチのような振り子をかざして、判定できるようなものでは決してありません。
大阪の霊覚者の先生にお会いした時に、
「 先生! わたしはどの神霊の分け御霊でしょうか?? 」
と半ばワクワクして、言ってくれたらラッキー!! なんて期待したのですが、
「 あのね 内藤さん! わたしが島根の大山(だいせん)にいるスサノオの尊の分け御霊であるということを知るのに、どれだけ修行したと思いますか?? 」
と、そう簡単には教えられないということでした。
ちなみに、分け御霊というのは、巷の霊能者の先生たちが言う「 守護霊 」や「 守護神 」とはまったく違いますので、ごちゃ混ぜにしないように・・・・!
バックで守っておられる方ではなく、あなたをあなたたらしめている究極の意識の根源であり、本体なのです。
この分け御霊ということについては、今後、もっと深くお話ししていかねばなりません。