店主 内藤
世の矛盾、スジの通らない事に店主・内藤が吠える!
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痛快!店主のひとりごと
店主のひとりごと Vol.366
記憶力落ちてきたと嘆く人へ
2017.12.21

さて、今年も残りわずかとなってまいりました。


この4日間で、南紀白浜に行き、19日は父の3回忌を終え、忙しい中にも充実した日々を過ごしてまいりました。



その父の法要の時、フと思ったことがあります。


それは、人が亡くなった時、あの世ではどのような姿になっているのだろうか??


ということで、まさか亡くなった後に灰になって、それですべてが終わりではないことは明らかであり、

最近、ネットの動画サイトにも、数多くの心霊写真から始まり、救急車で担ぎ込まれている状況で、肉体からス〜と白いモヤのようなものが出ていっている動画が多数撮影されています。


これを一般には「 魂 」と呼んでいるわけですが、その魂は、その後、どこに行っているのでしょうか?


魂は、結局、人の形をしてくるわけですが、では、100歳で老衰で亡くなったり、植物人間の状態で亡くなった人は、やはり、100歳や植物人間の状態のまま、あの世でいるのだろうか??  と。



脳梗塞で亡くなった店主の父は、右半身が麻痺していた状態であったので、あの世でも右半身がマヒした状態でず〜といなくてはならないのか?? 


と、一瞬思ってしまったのですが、あの世を見たりしてきた最高峰の霊能者の意見では、



「 老齢で亡くなったりした場合は、だいたい45歳あたりの状態で、あの世は存在している 」


「 病気の体も、ある程度は元に戻って、健康体に近い状態で存在している 」



ということになっているようです。


人間、死ねばすべて灰になって終わり!! と思っておられる方は、このような話は完全にスルーしてください。


ただ、そのような人は、死んだとき、周りの人に対して、自分はここにいるぞ!! と叫んでいますが、誰も気づいてくれないので、途方に暮れるしかありませんが・・・



大阪の霊覚者の先生がいつも言うことですが、


「霊を救済する時、自分が死んだことに気づいていない霊もたくさんいるのです」


「自分はここにいるのに! と主張していますが、誰も気づいてくれません」

「ですから、もうそなたは死んでおる!! という所から説得しなくてはなりません」


「自分の死を自覚できている霊は、額に△のオーラがあり、自覚できていない霊は△がありません」


ということのようですが、脳梗塞で亡くなってから、あの世もそのまま脳梗塞の状態では悲しい限りです。



それなら、若くて元気なうちに転変地変で一瞬で亡くなったほうが、あの世も健康体でバンバン活動したいというのが人情です。


しかし・・・



天はちゃんとあの世では元気な体で、活躍できるそこそこの年齢に合わせてくれているようなので安心している限りなのです。


ただ・・・・



あの世に戻ってしまうと、進歩が格段に落ちてしまうという最大の欠点もあります。


「 あの世は波長の世界 」ですので、自分の考え方と同じような人しかいません。



神霊が言う、あの世の最高のランクに入った〇〇の記録を見ると、


あの世では、同じ思想の人たちはコミュニティーを作って共同生活をしている村もある。


そして、その村の人たちの顔を見ると、・・・ビックリ!! なんと、顔までがまったく同じ!  ということです。


このことを学んだ店主は、ゾっとしたのです。

「 これはいかん!! 」


「 あの世にもどってしまうと、学べなくなる!! 」


という想いにかられたのです。



これがどういうことかわかりますか??



そうです! あの世は、自分とまったく同じ思考の人しか周りにいないのです。



これは、つまり、それ以外のことを学べなくなる、ということをも意味しているのです。


つまり、趣味の延長線でしか生きることができていないのです。



戦争好きは、朝から晩まで戦闘ばかりし、科学好きは、科学の勉強ばかりして、まさか、芸術など学んでいないのです。



このことを、コラムでは、

「 汝自身を知りたくば、周りの人を見るがよい 」


と言ったお釈迦様の言葉を引用してきたのです。



よろしいですか!


今、この世では、あなたよりはるかにレベルが上の人も低い人も玉石混合しています。

ならば、今のうちにレベルの高い人から学んでおかねば、あなたが自分の固定観念を破って、趣味でもでなかった芸術や科学、政治を学ぼうとすることなど不可能でしょう。



南紀白浜に行った際に、「 南方熊楠記念館 」にも立ち寄りました。


店主のお気に入りの熊楠の波動を浴びるためです。



熊楠は「 智の巨人 」と称され、19か国語を自在に話し、何百ページの辞典を一度見ただけで その場でノートに書き写すことなく、自宅に帰ってから頭から内容を引き出し、ノートに書き写すことができた天才です。


この記憶力の原動力は、一体、何なのか??



それは、あくなき「 好奇心 」にあったのです。



熊楠が一生涯探求した「 粘 菌 」という、未だに現代植物学もまったくわかっていない生命体にあくなき興味を持ち、写実的にその生態を記録し続けたことが、記憶力の原動力ともなっているのです。



もし、記憶力が落ちてきている!! と嘆いている人がいるならば、簡単に記憶力は上げられます。


それこそ、熊楠のように、一つの対象物を写真のように絵に落とし込むことをすればよいのです。




神秘の念に打たれている不思議な生命体である粘菌の細部まで観察して、書き写そうとすれば、誰でもいやおうなしに記憶力は倍増されるしかありません。

熊楠の記憶力は、決して、天が勝手に与えたものではなく、あくまで、努力の賜物であることを知らねばなりません。


今、目の前にある対象物を1分観察し、そして、目をつぶって細部まで思いだせるか? を訓練しても良いのです。


これを丁寧にして記憶力が落ちるということはありません。




記憶の中枢である‘海馬’を良くすると店主が認定している「 黒ゴマ 」でも、絶対かなうことはありません。

こんなどこでもできることでも、記憶力はますます高めることはできるのです。


ようは、持続的にしないことが失敗の最大の原因なのです。



熊楠のように、赤ちゃんのような好奇心と観察するクセさえつければ、「 智の巨人 」に近づくことは可能です。



店主も精神年齢は18歳より止まっていますので、まだまだ好奇心はそこらの20代の人にも負けない自信はあります。


とにかく、周りで起こることをひたすら観察しています。



「 求めよ! されば与えられん! 」


「 求めなければ、何も与えられない!! 」



これを心に刻んで、ただ前進あるのみです。


来年は、いろんな人に会うために、行動範囲を広くしていこうと思っています。