店主 内藤
世の矛盾、スジの通らない事に店主・内藤が吠える!
皆様の知らない情報、健康法満載!
痛快!店主のひとりごと
店主のひとりごと Vol.345
マザーテレサの最後
2017.01.28

さて、前回は、知らず知らずのうちに積み重ねている業というものが、いかに自分だけでなく、子孫の繁栄を阻害している要因になっているのか? をお勉強してまいりました。

特に、宗教的なことをしている人に限って、まったく因縁因果の法則を無視して、自分の利益だけを追及し、相手を真に思いやる愛情なしの無理やりな勧誘、脱税をはじめとする不正をへっちゃらでして、神だの仏だの言っているかわいそうな人も多くいるというのが、今の世であるということなのです。



神霊は、ほとんどの人は、


「 お金 」 「 権力 」 「 色欲 」


で落ちていくと言われています。


不正はお金を元としたもので落ちていき、異性関係のもつれで色情地獄にまっさかさまに・・・・


これを世界中の人たちが、自分の良心(魂の声)に負けて落ちているのです。



「相手に勝つことより、自分に勝つことのほうがよほど倍難しい」と聖賢は言い続けてきました。

これは、未来永劫変わりません。



神霊は、そんな人間たちを黙って見守っているだけであり、イチイチ、そんなことをしてはいけません! とは言わないのです。


あくまで、自由意思を尊重しながら、バカをしながらも少しづつでも成長する過程を喜んでいるとされます。



逆に言えば、最初からイエスやお釈迦様のような完成された状態で人間を作ってもおもしろくないわけです。


成長という過程を楽しみ、宇宙と同様、進歩、発展しているといえます。




それでは、今回は、全人類の体験してきた中でも最難関のテストをされた人物についてお話してまいりましょう。


これは、昨年の浅草セミナーでもお話ししたことですが、参加された方も、もう一度お考え下さい。



まず、全人類の中でも最難関の試験をされたとは、どういうことか??


をお話ししていきますと、ズバリ、「 境地の高さ 」に関するものです。



では、境地が高いとは、どのようなことを意味するのか?


ここら辺を明確にしておく必要性があるのですが、それを教えてくれた人がいます。


それこそが、‘ マザーテレサ ’という人です。



マザーテレサは、誰もが知る愛情で人々に接してきた人であり、ノーベル賞も受賞した聖人です。

その彼女に、神霊は、最後の最後にとてつもない試験をしてきました。



その試験をまず説明してまいりましょう。



舞台は、彼女が臨終を迎えようとした、まさにその瞬間の出来事です。



さすがに臨終の際には、彼女も


「 ひょっとして、イエス様でもお迎えに来ていただけるのかしら? 」



という期待があったのですが、そこにやってきたのは・・・・・・


なんと、身の毛もよだつ‘ 悪 魔 ’が降りてきたのでした。



これには、彼女もビックリ仰天してしまいました。


「なぜ、今まであらゆる人に愛をささげてきたわたしに悪魔なぞ・・・・・」

「 主よ! 一体、わたしになんの至らなさがあったのでしょうか?」


と心で叫んでも、今起こっている現実を把握することすらできないパニック状態に・・・


そして、我に返った彼女は、その悪魔を退散させるためにあるところに支援を要請したのです。



それこそが、バチカンの‘エクソシスト(悪魔祓い師)’だったのです。


皆さんも、映画「エクソシスト」を御覧になって内容をご存知のように、悪魔懸かりの憑依現象で困っている人たちが、今も世界で数千人はいるのです。


そのため、カトリックの総本山のバチカンでも多くのエクソシストたちが今も活躍しているのです。


映画はあくまで事実を映画化したものであり、空想や精神異常患者の行動ではないのです。


ネットでも、この悪魔払い師(エクソシスト)の活動記録が報告されていますので、信じられない方は調べてみましょう。(固定観念をはずして)




で、当然、実績のある最高峰のエクソシストが、彼女のところに招聘されました。



しかし・・・・

その最高峰のエクソシストでも、彼女の元に降臨してきた悪魔は、まったくびくともしなかったのです。


これには、彼女も本当に動揺を隠せませんでした。


「なぜ、よりによってこんな悪魔が・・・・」


と頭の中は試行錯誤のパニック状態に陥ってはいましたが、彼女は少し落ち着いた時思いました。



「わたしは今まで、あらゆる人に愛を捧げてきました」

「それは、膿の出るハンセン氏病の患者でさえも・・・・」

「しかし・・・・」


「わたしは、今、目の前にいる悪魔という存在に対して毛嫌いし、怯え、自分の身を按じて排除しようとしている!」


「主よ! この悪魔という存在に対して、愛を捧げられないわたしを試されようとしているのでしょうか?」


「わたしは正直怖い! でも、わたしの今まで人々にしてきた愛が本物かを知りたいのですね!」

「神は生きとし、生けるものすべてを創造された!」


「悪魔ですら神が創造されたもののはず!」


「ならば、わたしは、その悪魔をも愛します!」



という一大決心のもと、彼女は、恐ろしい悪魔に対してハグをしようと近づいて行ったのです。



すると・・・

あの精鋭のエクソシストたちでさえびくともしなかった悪魔は、ス〜と姿を消していったのです。



これが、マザーテレサという人間に対して神が与えた最後のテストであったのです。


「 そなたの愛はどこまで本物か? 」 を。




よろしいですか?


このような体験は、マザーテレサであったからであって、一般のわたしたちには起こりえません。

お釈迦様やイエス様が臨終を迎えたとき、同じ状況であれば、恐らく、超能力を使って悪魔を排除したことでしょう。



しかし、マザーテレサは超能力などありません。


ただ、「 愛 」というものしかありませんでした。



その愛の深さがどの程度のものなのか? を神霊は悪魔に化身して試したのです。


まさに、全人類最難関の試験とも言えたでしょう。




さあ、ここまで御覧になって、皆さんは何を学ばれたでしょうか?

ここからが店主の問うてみたい内容です。


最初、今回は、「 境 地 」というテーマであるとお話ししましたね。


マザーテレサのこの逸話を知っている方は浅草セミナーでもおられました。

しかし、この逸話から何を学んだのか? 


となると、はなはだ疑問です。


「マザーテレサの愛情はすごいなあ〜」 で終わっているのではないでしょうか?


それでは、彼女に降りてきた悪魔に化身した神霊の思いもくみ取れません。

決してマザーテレサだけの試験だけではなく、周りの人にも示唆したい内容もあったはずです。



それこそが、


「 自分への愛と赤の他人への愛情が同じもの」



という境地が最高だということです。


ようするに、赤の他人が自分の父母、兄弟のように思え、さらに、一番愛しい自分と同じように思えたなら、もうあなたは聖人であり、天使と同じ境地ですよ! と言っているのです。



自分と他人との心の隔たり度合いが、その人の境地の高低だということです。


店主は、究極の悟りとは、人と人、人と神との「 差 取 り 」だと学んできました。


今のわたしたちの境地は、まだまだ「 人 間 」という漢字が当てられなければならないくらい、人と人との心の距離ができています。


いつの日か、「 人 間 」から「 人 」だけの文字になる日がこなければなりません。