店主 内藤
世の矛盾、スジの通らない事に店主・内藤が吠える!
皆様の知らない情報、健康法満載!
痛快!店主のひとりごと
店主のひとりごと Vol.263
考え方こそ"悟り"
2013.07.06

さて、いよいよ7月10日の東京講演会も近づいてまいりました。

店主は、今、資料作りに没頭しているわけですが、とにかく、今回の講演会の内容はヘビーに濃すぎます。

とても3時間では収めそうにもないのですが、ほぼ100%、誰も聞いたことのない内容も多々あることも確実です。


しかし、店主には自信がありますし、話をお聞き頂く方々も納得、理解して頂けるものとなっています。

とにかく、タイムリーな内容が多すぎます。

この3時間の講演会の内容は、今までのお話の中でもっとも内容が濃いのではないかと思います。


「冷えを改善するのに、しょうがや足湯をしましょう!」というようなお話ではないことは保証書付きです。

はるか遠方より時間とお金を出してまで来て頂ける方々には120%満足でお応えするしかありません。

講演会まで、疲れで夏風邪など引かぬように注意しなければなりません。




ところで・・・・・

最近、お客様とお話をしていると、

「○○さんの言うことを信じて、言われた通りのことをしたにも関わらず、ちっとも幸運になれないのですが、なぜですか?」

という質問を受けるようになってきました。



そして、その人そのものが信じられなくなり、ウソつき呼ばわりまでもいかなくとも、人間不信に陥っているのです。

先に紹介しました日本を代表する億万長者の斎藤一人さんも言っている


「ありがとう、ありがとうを1000回言えば、幸運なことがやってくる!」


などもそうで、本当に1000回、必死に数えながら実行したけれど、まったく良いことは何も起こらない!と言っている方々も同じです。


1000回 "ありがとう" を言って、幸運なことが起こらなければ斎藤さんはウソつきになるのでしょうか?

そして、今まで言ってきた他の言葉もウソになってしまうのでしょうか?


それは、まず違っていると思われますし、何より、

この1000回というたくさんの"ありがとう"という言葉を言わせる意味は何かを考えないことに、むしろ欠点があると思われます。


ここで、逆説的に考えて、

もし、"ありがとう"を1000回唱えて、幸運な何かが100%起こってしまうとしたら・・・・?


その時は、その唱える人は、幸運を得るための具体的な行動をすることもなく、朝から晩まで"ありがとう"を唱え続ける、"ありがとう教"の完全なるおかげ信仰の信者となってしまっていることでしょう。

あくまで、幸運を掴むための具体的な行動ありきで、その時の心根に"ありがとう"の軽い、明るい想念が必要です。

でなければ、このペンダントを買うと"勝手に"幸運なことが舞い込んでくる! と言っている、どこかの週刊誌や雑誌に載っているものと大差はなくなります。



どこかの宗教者の教祖様、医師、整体師の講師の言葉だけを絶対視し、それ以外の言葉は耳ダンボ状態の方がたもたくさん見てきました。


いかなる人の意見も、すべて自分にとって"ヒント"であり、その時だけに必要な言葉でしかないかずなのに、言葉の呪縛から抜け出せないのです。

"信じる" ということと、"盲信" はまったく違うことです。

あくまで、自分で考える余地がなければ "盲信" となります。

その人にとってもっとも重要なことの一厘が、その都度、示唆できる人など皆無なのですから・・・・


尊敬できる方がおられるのなら、その方の考え方を学ぶのであって、その人の言った言葉そのものを守るのではないということを肝に銘じなければなりません。

でなければ・・・・

間違いなく、ストレスに犯され、皆さんの健康を1秒も休むことなく調整してくれている脳の視床下部を痛めつけることになるのです。



わたしたちは、自分が健康を管理していると思いこみがちですが、絶対そんなことはできていません。

マイナスのストレスを持ったり、携帯の電磁波を浴びせたり、必要以上に食べたり、宿便を溜めたりして、ひたすら視床下部の働きを阻害することに精を出しているのです。

視床下部がまともな活動ができているのなら、人間は病気などなれるものではありません。

これからは、視床下部の重しになることを、一つ一つ減らしていくことが真の健康を獲得することになることは間違いありません。


その視床下部の働きを阻害している最大級の要因であるマイナスのストレスを少なくするために

考え方を柔軟にし、ゴム風船のような軽さを獲得することに精を出すことがもっとも有益となります。



これを、" 悟り "と言わず、一体、何を悟りというのでしょうか?

" 悟り "というのは、いかなる状況にあっても揺れ動かない境地であり、考え方の工夫であるということを今までも強調してまいりました。


ある人が、今、ものすごい不幸な状況になってしまっているとした時、

「あっ これは自分が前世で悪いことをしたから、苦しみというエネルギーとして受けているに違いない!」

「でも、この苦しみを味わった分、前世の悪行の借金も減っているに違いない!」

「今のうちに苦しんでおいて借金が終われば、後はそれなりにガンバっていけば、幸運なことが起こりやすくなるはずだ!」


という考え方のように・・・。

ここで、前世というものが本当にあるのかどうかなど、どうでも良いことなのです。

仮に、そう考えると、今の苦しい状況でも明るく乗り切ることができるかもしれない、ということが重要なことなのですから・・。



まじめに、まともに考えてしまう方ほど難しいことだと思いますが、ある意味、" わがまま "になることも大切です。

ここで言う " わがまま "というのは、脳を痛めつけないように、自分にとって都合の良いように考えることができる人をさします。  

これからは、脳にとってマイナスにならない "わがままな人" になろうではありませんか?