店主 内藤
世の矛盾、スジの通らない事に店主・内藤が吠える!
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痛快!店主のひとりごと
店主のひとりごと Vol.217
誠とは・・・
2011.12.21

さて、今年は、23日に伊勢神宮に参拝することにしました。

それで、来年、再来年のもっとも恐れる年に向けて、できるだけ心を明るく保てるように‘陽の気’を頂くために、参拝させて頂こうと思っています。

ここで、神道のもっとも大切な教えである‘誠’ということについて、少しお話をしてまいりたいと思います。


今からお話をする内容は、もうかれこれ6年くらい前の出来事なのですが、店主の心に刻まれた内容となっています。

その内容というのは・・・・


ある宗教団体の信者の方が、熱心に店主に対して

「○○日、すばらしい教会長が県外からわざわざが来られるので、ぜひ、一度、その話を聞いてみてください!」

という話だったのですが、その人だけでなく、同じ団体のお客様からも、また、別のお客様からも同じ内容の勧誘をこれでもか!と言えるほど集中して受けたのです。

中には、公衆電話から永遠30分以上力説される方もおられ、最初、ず〜と断り続けていた店主も、さすがに根負けして言いました。


「わかりました! そこまで熱心におっしゃるのでしたら、一度だけかもしれませんが、行かせて頂きます。」 と。

そして、その教会長が来られる日に団体の支部にしぶしぶ足を運んだのです。


しかし・・・

予想に反して、その教会長という方が話した内容は、本当にすばらしいものでした。

その内容は、だいたい次のようなものだったのです。



皆さん、 わたしも全国をグルグル回っておりますが、ある支部に行った時のこと・・・・

その支部の信者の1人が、‘あ〜 もうすぐ10月の大祭だ。 準備せないかんなあ〜!!’  


と、何やら、いやいやながらもしなければいけないという義務感で大祭の準備をされようとする溜息のようなものを聞いたのです。

それで、その方に、‘○○さん、もし、義務感で大祭の準備をされるのでしたら、やめたほうが良いですよ!’

‘そのような心でご奉仕をされても、神様もきっとお喜びにはならないでしょう!’


実は、わたしもえてしてそのような心になることもありました。 

しかし・・・・

ある支部に行った時、そこで、たまたま会った少年に、本当の誠というものを教わったのです。


ある少年が、ちょうど神殿にお玉串を奉納している時に出くわし、そのお玉串の中身が1万円であるのがわかったのです。

そこで、その少年の所に行って、思わず

‘僕! こういっちゃなんだけれど、そんなにお玉串をして大丈夫なの??!’

と聞いてしまったのです。


すると、その少年は、

「心配要りません。 これは親の財布から盗んできたお金ではありません! 」

「実は、僕は、ぜんそくを持っています。 お父さんもお母さんも、僕のこのぜんそくを治そうと、一生懸命、病院や健康食品にたくさんのお金を使ってくれています」

「しかし・・・どうしても治らないし、苦しくてどうしようもないのです。」

「それで、神様にお願いして、何とかこの苦しいぜんそくを治して頂くようにお願いしているのです。」

「このお金は、土曜日の学校が昼までの時に、お母さんが昼食のためにくれたお金を、昼食を食べずにお玉串をさせて頂くために貯めてきたものなのです。」


その少年の話を聞いた時、わたしは、これが本当の‘誠’だと痛感させられたのです。

義務感で・・・、周りがしているから・・・・という‘させて頂く’という心根からまったくかけ離れた境地でご奉仕しても、何の功徳もないし、御魂の修業にもならないということを教わったのです。

それ以来、わたしは、その少年を見習い、新幹線を利用する時などには、‘ちょっと喉が渇いたなあ〜  ジュースでも飲もうか!’ と、いつもならジュースを買っているところを、あえてガマンして、そのジュース代を別のお財布に入れて、お玉串としてさせて頂くことにして久しくなります。



というような内容のお話を教会長はされたのです。

このお話は、店主にとっては、当時、ドンピシャリのタイミングのものでした。

店主は、毎月1日、15日に会社近くの八幡様に参拝しているのですが、忙しい時や、たまたま忘れてしまっていた時には、

「ア〜! 今日はもう1日なんやなあ〜! 参拝に行かんといかんな〜」


と、まさに先の信者の方のように義務感やらいやいやながらの‘形式だけ’の参拝をしている時だったのでした。


それを、八幡様は、「そんな心で参拝するのなら、別に来る必要もないし、お金の無駄だよ!」と教会長の口を借りて教えてくれたのでした。

そのようなこともあって、店主は、何やら熱心に訴えかけてくる人や重なる象意には、必ず注意して耳、目を傾け、自分に何を教えようとしているのか?を観察するようになったのです。



これは、‘心からさせて頂く’の原点であり、魂が喜ぶことの実践でもあります。

今している仕事は、何のためにしているのだろう??!!

お金儲けのためにしているか? 単に生活のためにしているのか? 高級車を乗り回すためにしているのか?


それで、魂は本当に喜んでいるのか?

どんな単純な仕事であっても、その単純な中にも極めようとする心があるのか?

自分しかできない得意技まで磨いて、そこに楽しみと喜びを見出そうとする情熱はないのか??

どんなに働いても給料は変わらないから、一生懸命働くことは損なこと! という固定観念に陥っていないか??

趣味であろうと、学んだことにムダなことなど何ひとつない! ということを理解できているか??

仕事を与えられて、いやいやながらでも自分の知らなかったこと知り、できないことができるようになるャンスを与えられることを感謝できるか?



これが、‘させて頂く’の心を生み、学んだことは、すべてつながってくることを知り、その人の成長の段階に応じて、絶妙に、今、身の周りで起こる現象となって現れてくるということを知らねばなりません。

来る人、以前からいる人、去っていく人、すべて最高の配置がなされています。


さあ、明日はどんな人がやってきて、皆さんに気づいて欲しいテーマを投げかけられるのでしょうか?