さて、今回は、‘臨界点’ということについてお話をしてまいりたいと思います。
で、このお話をするということは、今、店主の周りの変化がそれを思わせる事象が起こっているということなのです。
この2週間前より、お客様からの相談の電話で
「なぜか、目のまぶたがだんだんと下がってきていて、不便で仕方がないんです! 病院に行ってもまったくダメで、何とかならないのでしょうか?」
という内容でした。 それで、店主は、思わずこう質問をしました。
「それは最近のことですか? それともず〜と前からのことなのですか?」
「いえ、最近のことです・・・!」
「では、お薬か何か取っていますか?」
「はい!わたし、ウツの気(け)があるので、薬を飲んでいます。」
「とすると、肝臓と目は対の関係ですから、恐らく、その目の異常は、薬の副作用からきている可能性はあると思います」
「ドクターは、その可能性について何か言っていませんでしたか?」
「はい! その可能性はありえる・・・・と!」
「では、ドクターも可能性を否定していないのですから、いきなり薬をやめるのではなく、肝機能を向上させるか、負担になるものを極力排除させる方法が有効なのでないですか?」
というような展開があったのですが、店主は、このようなお客様からの質問には、いつも重要な何かのメッセージを持っていると注意深く観察しているのです。
そして・・・・
当然、今の相談者は、‘プチ断食’や‘砂浴’を実施すれば、症状が改善に向かう確率は、間違いなく上がると考えているわけです。
このコラムでも、この数週間は、肝臓の機能の向上に焦点が当てられてきました。
その断食的な排毒作用の延長線あるいは進化したものが・・・・今回のテーマである‘臨界点’という内容になります。
ここで、再度、皆さんに質問したいことがあります。
「断食とは、一体、何に有効か?」・・・・と。
「内臓の負担を軽くし、毒素排泄を促し、肝機能の向上につながっていいんじゃない!??」
とお答えになるでしょうか?
すると、まだまだ、このコラムでのお勉強はできていない、と答えなければなりません。
‘断食’による究極の効果、それは、・・・・・。
「脳の改善と進化」
というのが、答えなのです。 思い出しましたか?
まずは、一番簡単に解説したコラム101を参考にして下さい。
( ※ 詳しくは「VOL101」で確認。)
そして、今回は、その断食において、この日本でも画期的な方法を編み出し、断食の‘可能性’を最大限に引き出したある人物をご紹介したいと思います。
その人物は、もともと新聞記者を体験され、その後、インドにわたり、貧困や売春をはじめ、人間の生と死の極限状態を観察し、どんなものも受け入れる器を作って日本に帰国。
現代栄養学がいう、最低の栄養という概念など、まったく当てにならず、小食、断食の効果が、幾多の難病を改善させることにいかに有効か、を実証し続けており、
その人物が、もっとも特異であったこと・・・・それが、
「3日間という超短期間の断食療法で100%の宿便排除に成功した」
ということと、その断食療法の中で、
「中には、1分間に2、3回の呼吸ができるようになるような呼吸法による脳の極限の安定を可能にした」
という2点が、画期的だったのです。
その人物は言います。
「最初は、断食の目的は、ダイエット、便通などの調子を良くするための手段で選ばれることでしょう」
しかし、・・・・
「まじめに断食をしていると、いつのまにか生活習慣そのものが変わってきます」
「舌の味覚も違ってきて、濃い味がきつく感じて、あっさりとした味を好み、酔い安くなり酒の量も減り、肉食もできなくなってきます」
「コレステロールや血圧、血糖値、アレルギーの頻度も下がりはじめますし・・・・・」
また・・・・
「通常、1週間断食をしても、宿便が出るのは参加者の20%くらいですが、わたしのやり方では、3日間で出ます!!」
そして・・・・
「次に、‘心の宿便取り’の段階になっていきます。」
「医師の方々も、この心の宿便取りを絶賛して下さり、精神の安定が、免疫細胞を活性化して、ガンにも打ち勝つ素因を作ってくれると」
というような、とても有益なことを実施されているのです。
では、その人物を紹介しますと、名前を‘野口法蔵’さんといいます。
野口さんは、自身の療法を‘座禅断食’と命名されています。
この療法は、精神と肉体の極限の進化であり、自分の今の臨界点を超える最小のリスク、最短時間、最大の有益性を達成できる可能性に満ちています。
著書もありますので、ぜひ、お買い求め頂くと良いでしょう。
「直感力を養う座禅断食」「断食座禅のススメ」「これでいいのだ」などがおすすめです。
特に、野口さん自ら指導されている‘場’では、何とも言えない安心感と療法の達成率を誇られていると、医師も絶賛されます。
これは、野口さんが人間の極限の状態を見てきたものの中から生まれた揺れ動かない境地と確信のちからが、参加者の潜在意識にも大きく作用しているからです。
人間の本当の強さは、極限を体験しないと発揮できるものではありません。
小さな道徳論ではなく、善も悪もすべて呑み込めるくらいの気概と力量がないと、真の仏にもなれないのは当然です。