さて、前回は、‘欲’という漢字から‘真の愛’の意味を学んだことをお話しました。
他を生かす‘愛’であれば慾でなくなるのですが、この慾にはどうしても執着心がつきまといます。
見返りや所有欲には、かなわない寂しさ、恨み、嫉妬の心が表裏一体となっています。
これが、人間の理想の究極的要素である‘明るさ、軽さ、温かき心’を維持、持続する最大の障壁となるのです。
いかなる状況になろうとも、上記の3つの心を崩してはならないのです。
逆を言えば、いかなるすばらしい話を聞いたり、すばらしい活動をしようとも、この3つのこころが崩れていれば、結果としてダメなのです。
これが、店主が得た最大の気づきでもあるのです。
以前、このコラムでも紹介したことですが・・・・
今、3歳、4歳の子供のいる母親が、ガンになって病死していくと成仏できているか?
となると、まず成仏できておらず、地獄に落ちている可能性がほとんどだということ・・・・
なぜなら・・
暗く、冷たく、重たい心で満ちているというのが、皆さんも思っている‘地獄’だからです。
決して、悪いことをした人だけが行くのが地獄でないということをしっかり考えなければなりません。
この世に執着心のある人は、こころが重たいので、物理の法則と同じで、やはり、下に落ちなければならないのです。
これをお釈迦様は、‘般若心経’で、執着心を持つと上には上がれない、ということをクドクド説明しているのです。
この現実世界を生きていく中で、楽しく過ごすのには、自分でも気づかない‘才能’に気づくことです。
その才能とは、人よりも秀でていると明らかにわかる内容でなくとも、知らず知らずのうちに、何時間、何週間、何年、何十年趣味的に続けておられる、という中にあります。
無意識に没頭できる何かを持てることは、その人にとって最大の幸福です。
現在は、‘個性が収益に結びつく時代’ですので、普通の人が??だらけの趣味でも、必ず賛同者はいるものです。
その没頭できるものをドンドン追求し続けていけば良いのです。
それでは、今回のテーマの‘おヘソ’についてお話をしていきたいと思います。
この週は、‘おヘソ’というキーワードが頭を埋め尽くしていました。
それは、最近知ったおもしろい人物がおり、その方が万病に対してかなりすばらしい実績をだしているポイントが‘おヘソ’だったからです。
このおヘソについては、以前、このコラムでも紹介していましたが、氏の注目は、おヘソ近辺に現れるいろんなシコリにあったのです。
この情報が入った時、瞬時に、‘これはすばらしい効果を発揮する!’ということが理解できたわけなのですが、その根拠はというと・・・
店主の知りうる限り、もっともガンという症状を治した実績をお持ちのKさんがいつも周りに話していたある言葉とリンクしていたからです。
曰く「どこのガンであろうと関係なく、ガンになった者は、みんなお腹が腐っており、硬い」 と・・・。
そして、そのKさんは、何ガン関係なく、ひたすらお腹を丁寧に揉んで、そのシコリを取っていたのですから。
このおヘソのシコリに注目したのは、杉山鍼灸治療院という治療院を開業されている杉山平煕さんといい、ネットでも治療院が紹介されているので、ご自身で調べてみてください。
とても簡単なやり方でシコリを取る方法を紹介して頂いており、ガンに限らず万病に有効だと考えられます。
ところで・・・
このおへソということで、一つ、皆さんの知らないことを紹介してみましょう。
人間の死というのは、一体いつからか?
と聞かれれば、いつとお答えになるでしょうか?
脳死の時か、心臓が停止した時か?
いえいえ、それは確かに現代医学的に言えばですが・・・
実は、皆さんの目には見えない‘薄い銀色をしたヘソの緒’が切れた時なのです。
「えっ!! 何それ?????」と叫ばれることでしょうが・・・・
よく瀕死の重傷を負い、いつの間にか自分の体を下に見ながら、‘幽体離脱’をしたという体験をした人はそこそこいます。
しかし、その幽体離脱をしている時でも、まだ‘銀のヘソの緒’が切れていない状態であれば、必ずこの世に戻ってこれるのです。
逆に言えば、銀のヘソの緒が切れてしまうと、どんなにこの世に未練があろうとも戻ってこれなくなるのです。
この銀のヘソの緒こそ、あるエネルギー存在と橋渡しとなっているものであり、病気で生命が絶たれようとしている時とか、ピンピンしていても事故で寿命が尽きようとしているときにはヘソの緒が非常に狭く詰まった状態に陥っているのです。
人間は、胎児の時には母親とヘソの緒で結ばれていたのですが、そのヘソの緒が切られた後も、見えない世界ではある所とちゃんと結ばれているのです。
この見えないヘソの緒について、ある人がおもしろい発見をしています。
その人は、いろんな病気を治すための療法を考えていたのですが、ある時、寺院に入った時のこと・・・
大日如来や薬師如来などの仏様は、皆、独特の‘印’という手をいろんな形に組んでいることに不思議に思い、ひょっとして!?という思いもあってあることを試したのです。
それは・・・
「薬の仏様である薬師如来の印を結んだら、ひょっとして病人に良き何かが起こるのだろうか?」と。
そして、その思いつきを実験してみたところ・・・
何と、病気で苦しみ抜いていた人の見えない銀のヘソ緒の狭くなっていたものがブニョブニョと太くうごめくようになった、と。
このように、やはり、意味もなく仏たちの手の印もあるわけではなく、何かのエネルギーの作用を起こさしめているのです。
この叡智を知っている人間は、当然何かの使命を持って生れてきているはずなのですが、一般の方々にはまるで疑問にもなりません。
ですから、人類が気づいていないことがまだまだ他にもたくさんありますので、絶えず観察するという眼を養わなければならないのです。