前回は、すべての現象は、わたしたちの力量に合わせた苦痛と誘惑が設定されており、その時、魂なる良心の叫びが、その苦痛と誘惑に打ち勝つかどうかを見られている、ということをお話をしました。
40のレベルの人には41の魔、80のレベルの人に81の魔は来ていないということの意味を知って頂きたいのです。
そして、これこそ、実は、先に紹介した‘天上天下唯我独尊’の意味のもうひとつの真理でもあるのです。
つまり・・・・
わたしたちがこの世を生きている中で、個々のレベルに合致した成長プログラムが設定されており、上がれば上がったでその時の境地が維持できるか?
ということを、身の周りの様々な苦痛と誘惑で試され、持続性と成長速度を見られているわけで、‘すべての人に成長プログラムが保障されている’ということでもあるのです。
ゆえに、個々の成長を見守るシステムが尊いともいえるのです。
また・・・・・
人の幸せを落とそうとするエネルギーも働いているのは上記の内容で明らかなのですが、そのエネルギーを‘破壊のエネルギー’と呼ぶとしても・・・・
創造と破壊は常に同時に起こることであり、破壊ということを悪いイメージとして持つことも‘偏見’でしかありません。
卍はお寺のマークでもあり、‘創造’という意味ですが、あのヒトラーのナチスが使用したのが、‘破壊’を意味する逆卍であるとして恐れられているようですが、
チベットでは、ちゃんとナチスの紋章である逆卍も尊いものとしてあがめているのです。
新しく進歩するときには、今までの既存の古い考えや技術を‘破壊’していかなければ決して生まれることがないのですから・・・・
それでは、今回のテーマであります‘愛と欲’についてお話をしていきたいと思います。
このテーマを思い浮かんだのは、先日、東京から帰る途中の底冷えのする眠れない夜行バスの中でフっと浮かんできた文字が‘欲’だったからです。
皆さんは、欲という漢字が、なぜ、‘欲’と書くのか、お考えになったことはあるでしょうか?
この漢字の意味を直訳すると‘谷を欠いている’ということですが・・・
では、谷というものは一体何を意味しているのでしょうか?
実は、この谷とは大自然の営みと働きを象徴した文字なのです。
谷という存在は、山と山の間にできる、まさに実態の無い象徴です。
しかし・・・・
その谷からやってくる水は、すべての生命を育んでいるものではあるけれど、
「おれがおまえたちを育ててやっているんだぞ〜!」
と、何一つ主張もせず、ただ、何も語らずたんたんとすべてを育成している・・・
という、太陽が地球の生命を育くんだり、子に無償の愛情をそそぐ母のごとき存在である、ということなのです。
つまり・・・・
‘谷’というのは、自分自らは何も自己主張もせず、ただ与えるという無償の愛で貫かれている存在、といえるでしょう。
そこで、‘欲’という文字の真の意味がわかってきます。
‘谷を欠く’すなわち、無償の愛が欠けた‘見返りを求めるこころ’であり、‘所有したいこころの状態’を意味するのです。
ですから・・・・・
同じ欲でも、人を救いたい、奉仕したいという無償の与えるだけの欲は‘無慾の欲’であり、彼女(彼氏)といっしょになりたい、甘いケーキを食べたいという欲は、あえて‘慾’という漢字を使うことのほうが正確かもしれません。
これは、‘愛’でもまったく同様で、ただ、ささえたり、与える愛であれば純然たる‘愛’で、所有慾が入っている時には‘恋’といったほうが正確だといえるでしょう。
英語で愛は‘LOVE’ですが、恋のことを何というかは知りませんが、もし、‘LOVE’しかないのであれば、日本語はスバラしいとしか言いようがありません。
ところで・・・・
今回、このような‘欲’のテーマから学ぶことは、
世間を見ていますと、‘これだけしてあげたのに裏切られた!’とか、車が混雑している時に、横から入ってこようとする車を親切に中に入れてあげたにもかかわらず、お礼のランプもしなかった!として怒っている人がよく見受けられます。
心の表面上は何も期待していないようで、結局、奥ではその怒っている人たちは、これだけのことをすれば何か得られるのでは? お礼をしてもらえるのではないか? と‘見返り’を何らかの形で‘期待’しているのです。
ですから・・・・
‘谷’のように与えるだけで満足できる存在になりなさい! と店主は‘欲’という文字から教えられたのです。
最後に余談ですが・・・・
店主の笑いの根源である‘ガッツ石松’先生は、‘恋’の漢字のことを
‘相手に対して下心があるから下に心があるんだよ〜〜ん!!’
とズバリ喝破され、見事としかいいようのない解説をされておられます。