さて、本日より3月が始りました。
春の気配は、この寒さでまだまだ感じられませんし、ロシアなどは好き勝手に行動しており、陽気な気分にはなれないこの頃です。
このロシアというより、プーチンの独断と偏見によって、罪もないウクライナの多くの人々が、いきなり家を追われ、職も失い路頭に迷っているのです。
このような蛮行を認めれば、結局、中国も台湾に侵略する口実を作ってしまうことになり、日本は、軍事的にも相当厳しくなります。
これが、防衛予算も膨大に上り、わたしたちの社会保障費の予算が、ドンドン減っていくことに繋がっていくのです。
アメリカやロシアは、軍事による兵器の卸問屋ですから、戦争など脅威をチラつかせながら、商売を大きくしようとする意図もあり、まんまとその謀略に乗せられているのが日本であり、カモにされているのです。
戦争は、いつの時代でも利益のためになされているものであり、道義的な意味での戦争はありません。
ロシアは、非常に頭が良いので、自分が直接関与せず、他人の力で、‘ 漁夫の利 ’を得るようにするという狡猾さがあります。
第二次世界大戦も、ロシアが戦争に導いた面も多々あり、アメリカと日本を戦わせて、最後に、領土などを自分のものにするという恐ろしい策略を持っていました。
そのロシアが、直接的に戦争を仕掛けたのですから、よほど重要な何かがウクライナには存在しているのです。
これは、アメリカが当時イラクが核兵器を持っていると叫び、軍事力で制圧したけれど、結局、核兵器はまったくなかったあの事件と同じです。
そして、その戦争のどさくさに紛れて、イラクにあった人類の至宝ともいうべきものを静かに密かに奪っていったのです。
それはさておき・・・・・
本日も、先人の素晴らしい智慧を紹介してまいりましょう。
知っているか、いないかで大きく変わってきます。
今回、紹介するのは、目の中に異物が入ってしまった時とか、目をついてしまった時の対処法についてです。
では、その素晴らしさを・・・・
太平洋戦争の頃、ある鍼灸師の先生の所に、1人の石屋の職人さんが治療にやってこられました。
石屋さんですから、石を切ったりしていると、その粉が目に入ってしまうことは日常茶飯事のことです。
で、御多分にもれず、目に石の粉が入ってしまったのですが、なかなか取れずに、思い余って眼科に行ったのです。
しかし、・・・その眼科でも石の粉は取れず、本当に困っていたのでした。
そして、「 なんとかしてくれ!! 」と叫びながら鍼灸師の所にやってこられたのでした。
で、その先生は、ある箇所にお灸をしたのです。
すると・・・
あれだけ眼科でもお手上げだった粉が、すみやかに出てきて、
「 あっ 取れた!! 」
と声を上げたのです。
一体、鍼灸師の先生は、どこにお灸をしたのか、皆さんわかりますか?
実は、・・・・目とはまったく関係のない
「 手の親指の爪の下の第一関節 」
にお灸をしたのでした。
「 エっ 何で目の中の異物が、手の指への刺激で取れるの??? 」
と叫ばれていると思いますが、これが店主がいつも言う
「 創造主は、あらゆる所から疾患を治せるように作っている 」
という、まさに地でいくような例です。
今、紹介した場所は、ツボでいう
「 大 骨 空(だいこつくう) 」
というものになります。
お勉強のために、ネットで「 大骨空 」と検索して、どこにあるのかご自身でも確認しましょう。
自分でも調べなければ、まず頭に残らないでしょうから・・・・
しかし・・・神秘ですよね。
目の中の異物、老廃物が手の親指の刺激で改善できてしまうのですから・・・・
よろしいですか?
ここで終わってしまうと、皆さんは、例のように、目に異物が入った時やボールが当たった時などしか活用しないでしょう。
そうではなく、目の中の異物の排泄ができると言っているのですから、もっと応用しなくてはいけないのです。
それは、日本人の失明するトップクラスの原因である
「 緑 内 障 」
にも有効なのでは???
と気づかねばならないのです。
緑内障は、目の中の排泄がうまくいかない疾患だからです。
言われたことしかしないのではなく、もっと応用しなくはなりません。
鋭い人なら、このような事例に触れれば、ツボや経絡のことをもっと学んで、西洋医学がまったくお手上げの疾患も改善できる可能性を見出し、応用していけるはずです。
何より、経絡やツボへの刺激で圧痛を感じるならば、まだ西洋医学的な異常が発見されるはるか前に病変に気づき、改善できる最高の位置につけることができます。
手術や投薬は、必ず副作用を伴い、肝臓や腎臓の負担を大きくし、生命力を弱める起爆剤になります。
ただ、店主の目標は、この先人の智慧を知って欲しいのではなく、皆さんが自分でドンドン勉強していくことがゴールなのです。
店主にとっての「 宝 」の定義があります。
それは、今まで関心のなかったものをおもしろいと分からせてくれた人や物を、「 宝 」と呼んでいるのです。
神霊は、
「 宝とは‘ 他から ’やってくるもの 」
と言っているのですが、本当にそう思います。
嫌いな数学や科学であったものが、先生が変わっただけで面白く感じ、自分で勝手に勉強していく、というのが理想なのです。
自分だけでは気づかなかったものは、他人でしか気づかせてくれません。
皆さんは、真の宝に、いつ会えるでしょうか?