さて、先日、お客様とのお話の流れから、今年2回目の講演会を開催する機運が高まってまいりました。
と言っても、場所は同じ東京ではなく、・・・・「 名 古 屋 」に!!
その場所こそ、お客様がお持ちのビルということで、時間を気にせず、思う存分お話ができそうな・・・・
こうなれば、店主も話す内容を吟味して、内容を限定しなくても良いということで、あらゆるジャンルのお話が炸裂します。
特に、参加者はいつも女性が多いので、美に関してと占い(と言っても高等占星法)もふんだんにお話をすれば関心は高いのではないかと。
これで大満足してお帰りになられることになります。
理論的な一般論では、結局、何も残りませんので、参加者個人に特化したプラスの内容を目標にお話しようと思います。
占いを学んでおられる方にもきっと得るものは大きいことでしょう。
詳しい日程は本決まりではありませんが、今のところ10月3日(土曜日)を予定しています。
それでは、今回のお話に入りたいと思います。
これからお話する内容は、東京セミナーでお話をしたことなのですが、重要ですので、ぜひ、学んでいただきたいと思います。
そのテーマというのが、「 有 難 う 」の真意についてです。
わたしたちは、何か喜ばしいこと、お礼の挨拶に‘有難う’と無意識の内に使っています。
しかし・・・・・
漢字をそのまま解釈すると、何か変なことになりますよね!!
そうです! 「 難が有ることに感謝する 」ということになります。
そんなこと、望んでいる人は誰もいませんね。
誰も、‘ 難 ’という不幸、障害、停止を望んでいるわけなく・・・・
では、この「 有難う 」という文字は、「 無 難 」という文字に変えなければいけないのでしょうか??
こんなところに、人間にはわからない神の叡智が隠されていると言っても過言ではないと常々感心しているのです。
よろしいですか!
誰も難が来ることを望みはしないし、来て欲しくないと願っています。
ここで・・・・・・
一つ、例えとしてお話をしますと・・・・
ある人が、あと3年で寿命が尽きるという運命があるとしましょう。
つまり、3年後に、‘病死’もしくは‘不慮の事故’で亡くなるということです。
ちなみに、病死でも、脳卒中や心筋梗塞で一発で亡くなるということであったとして・・・・・
そして、時は刻一刻と過ぎ去る中で、2年と4ヶ月が過ぎようとしたある日のことでした。
今まで体験したことのないような痛みが右肘に感じたのです。
「 オヤ!! この痛みはどうしたんだろう??? 」
「 なんで、今まで何もなかった痛みが急に起こり始めたんだろう!! 」
と、慌てるも、どうなっているのか本人もサッパリわかりませんでした。
しかし、右肘の痛みは徐々に慢性化して、ず〜と痛みが襲ってくる有様に、さすがに病院に行ったのでした。
すると・・・・
「あ〜! 血液検査でRA反応が出ているからリューマチになっているようですね!!」
と、医師から思わぬ症状を言い渡されてしまったのでした。
「エ〜! なんで自分がリューマチなんかになってしまったんだろう! 」
とビックリするやら、落ち込むやらで、一瞬で不幸を背負ってしまったような感覚に陥るのでした。
「なんでだろう?! なんでだろう?!」
と数百回、数千回考えても改善するはずもなく、痛みだけが襲ってくる毎日。
「なんて自分は不幸なんだろう! 食事にしてもインスタントや粗末な食事をしているわけでもないのに!」
と何度考えても納得はできないし、落ち込むしかありませんでした。
そして・・・・
その痛みで苦しんでいる間に、時は、寿命が尽きる3年がやってきたのです。
その年のその月のその日に亡くなると定められた時が、ついにやって来ました。
しかし・・・・
その人は病死もしなければ、突発事故にあって死ぬこともなく、その日を無事過ごして、次の日、そして、次の日も生を保っていたのです。
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と、ここまでお話すると、センスの良い人は、店主が何が言いたいかを察せられたことでしょう。
そうです!
本来、その人はあと3年の命であったところが、急にリューマチになって、寿命が来る3年間という時間に苦しんでいた間に、‘死という最悪な業’を軽減していたのです。
痛いという苦しみを毎日浴びることによって、10トンの一発で即死する死の重みを、100gの苦しみを分割方式の苦しみで軽減していたのです。
しかし、本人は、なんで自分はこんなリュ−マチなんかになって苦しまねばならないんだ! と絶叫しているのです。
ようするに、人間の苦しみなんて、本当にそれが最低、最悪な苦しみなのか? ということがわかっていないのです。
知らず知らずの内に人を傷つけたり、不正をしたり、傷つけてはいけない魂を、失恋やショック、良心に反した行いをすることによって、病気や不慮の事故、事業の行き詰まり、家庭内のもめ事が発生してくるのです。
そのわたしたちの尺度でいう禍いが、ドっと押し寄せてくる時に、固まってきてしまっては、それこそ死に直結するところを、
ちょこちょこの軽度の禍いで、大きな一度にくる耐え兼ねる苦しみを免れさせてくれていることを、真に‘ 有 難 い ’というのです。
これなどは、人間の尺度ではわかりえないことなのですが、実際、そのようになっているのです。
ですから、感謝できることを「 有 難 い 」と言っても決して間違いではないのです。
これが、人間の叡智をはるかに超えた漢字や慣用句の恐るべき威力なのです。
わたしたちは、何の不思議も思わず、ただ漠然と使っているだけなのです。
かつて、’撮 影 ’などの真の意味をお話しましたが、意味を説明できる人は誰もいませんでした。
※ 確認したい方は「わたしたちは影の存在」を参照。)
ということで、皆さんに知ってほしいことは、
今、不幸と思われる現象が起こっていたとしても、それは、将来のもっと大きな禍が来ることを、苦しみや悲しみによって分割して軽減していることでもあるということ。
苦しみは決して終生続くわけでもないけれど、苦しんでいること自体を悲観したり、嘆くと、それは永遠に続く可能性があるということも理解しなければなりません。
そして、いつも指摘している最低、最悪な恨みの感情を持つと、それも永遠に続く可能性もあります。
というより、誰かを恨むと、物理の法則により、必ず、誰からか恨まれるというエネルギーの反転があるということです。
こんな恐ろしいことはありませんが、宗教者ほどわかっていない人もまた多く、ひたすら他宗を批判している人が多いのもおかしなものです。
自分にいくら正当性があろうとも、エネルギーに善悪など関係ありませんので、必ず、恨まれるというエネルギーが返ってきます。
「 全人類を救え!!」 と大言壮語しながら他を批判する人は、批判する人以外の全人類を救いましょう!! と言うようにしましょう。