本日は、クリスマスで大いにお祝いをしたいところです。
では、この12月25日のクリスマスというのは、何を祝うのでしょうか?
これを、ガッツ石松さんにお聞きすると・・・・
「そりゃ〜 七面鳥の誕生日だろう!!!」
と、超恐ろしいお答えが返ってくるのですが、良い子の皆さんは、誰の誕生日か知っているかな??
彼氏か、彼女の誕生日の人はラッキーですが、あのイエス・キリストの誕生日とされています。
これも諸説がたくさんあり、本当かどうかわかりませんが、一様、そのようになっています。
では、その偉大なイエスが言った言葉で知っている言葉はあるかな???
「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」
「金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴を通り抜ける方がもっと易しい」
なるほど! そうですね!!
そのような言葉はどこかで聞いたことがありますね!
ところで・・・・
今、店主は上記の言葉よりも、次の言葉が頭の中に響き渡っているのです。
すなわち、 「捲いた種は刈らねばならぬ!」 という言葉が・・・・。
というのは、昨日の12月の24日に身内が車の事故に巻き込まれてしまったからなのです。
朝、7時ちょうどくらいに、車を走らせていると、右側から車がいきなり突っ込んできたのです。、
ちなみに、その車は、一旦停止の所できちんと停止していたのに、何を思ったのか、いきなり車のアクセルを押したのです。
いわゆる完全な前方不注意なのですが、当たった衝撃は大きかったのです。
こちらの車もドアもまともに開けられない状態で、先方の車は、ボンネットが大破していました。
ただ、どちらも身体に怪我もなく、唯一の救いとはなっていました。
ここで、店主がこの瞬間から頭によぎっていた思いとは何かと言いますと、これこそまさに
「捲いた種は刈らねばならぬ!」
だったのです。
これはどういうことかと言いますと、こうです。
今まで車で道路を走行している中で、途中で携帯電話が鳴って、一旦停止をせずに走り続けたり、
スピードの制限速度を超過して運転したことなどたくさんありました。
しかし、幸運にも警察に違反キップを切られることなく、なんとかすり抜けてきました。
これは、表面的にはラッキーなことですが、しかし、結局は、 ‘業’ というものを積んでいることには違いないのです。
見つからないからOK!!では決してないのです。
絶対税務署が認めないとわかっている不正な経費や違反の数々は、結局、どこかで清算されてしまうのです。
それが、財産の減少もしくは病気、寿命の短命化など、それこそ、あらゆる分野にわたって清算されます。
今までは、この清算される周期が遅く、ほとんどの方は、不正でもわからなければやった者の勝ち! くらいの感覚で平気で不正をしてこれました。
しかし、一部の方が声を大にして叫んでいた‘アセンション’は、目に見える形では何も起こらなかったけれど、高次元化の波は本当に近づいてきているのです。
それこそが、なした行為に対する反動の周期が短くなってきているということなのです。
つまり、良いことをすれば、良き影響が跳ね返ってきて、悪しきことをすれば、苦しみとして跳ね返ってくる時間が短くなったということです。
ですから、事故に遭遇した内容を考えると、当たってきた相手がすべて100%悪い!! とは思えず、
朝7時という時間に、来るはずのないだろうとしてアクセルを思わず踏んだその3秒後に、ちょうどぶつかる位置に、身内の車が来ていた! という有り得ない確率で衝突したのは、
やはり、身内自身が今まで積んできた交通違反、その他の積もり積もった業が、このような交通事故の形で、金銭的、精神的にもマイナスの影響を受けざるを得ない現象として現れたに違いないと感じているのです。
この宝くじよりも低いかもしれない確率で起こった意味をじっくり考えよ! と天は言っているのです。
原因なくして結果なし!という言葉がストレートですが、そのように考えた方が他を恨むこともなくなります。
「あらゆる現象の奥に、すべて自分の発したものの返信がある」
ということを考えることができるようになると、不平、不満もなくなっていきます。
じ〜といろんな人を店主も観察していますが、もっとも弱い人間ほど、自分の責任とはできずに、すべて他の責任に転嫁する傾向があります。
このような方は、やはり信用ができない人で、調子の良い時はニコニコしていますが、ちょっと不利な立場になった瞬間から別人のように他に責任をなすりつけてきます。
これがまた宗教者に多いのですから、始末に負えない傾向もあるのです。
因縁因果の道理を説きながら、他者、他宗の人を徹底的に罵倒するのですから・・・・
このような人達を、どうしたら神霊が守ることができるでしょうか?
イエスやお釈迦様だったら、ただ悲しまれるか、足蹴りキックで最初からやり直しです。
しかし・・・・
どうしても業を積んでしまう人間ですから、その清算を少ない内にちょこちょこと清算してくれれば良いのですが、溜まりに溜まって一気に清算されてしまうと、それこそ死ぬかもしれませんので、不正の数々をしない誓いも大切ですし、自分に本当にプラスのこと、もしくは、他人に対して益することを実施しなくてはなりません。
これを ‘徳’ と呼んでいますが、昔のように、成したことの結果の反射率が早くなってきているので、徳や業の概念がわかりやすくなってきていることは喜ばしいことです。
あと、最近つよく思っていることは・・・・
「息を吐き切る訓練をしよう!」・・・・なのです。
これは、脳波を下げる訓練に直結し、直観力も含め、やはり、もっとも脳を鍛えることに役立つのです。
易の筮竹(ぜいちく)も、タロット占いもそうのですが、その鑑定家の脳波がアルファ波を超えてシーター波になると、本当に当たるようになってしまうのです。
逆に言えば、その脳波になっていないと当たらない、ということも言えるのですが、この点は非常に重要なことです。
そのシーター波の脳波になって、潜在意識を開き、肺も生かし、脳や腸を活かすことも同時にできることが、息を吐き切る、という動作なのです。
この吐き切るということを実施すると、なぜか不安感や恐怖心というものが消えてしまうのです。
統合失調症や自立神経失調症などの方は、実践すれば100%の確率で改善すると思いますので、ぜひ、実施して下さい。
はじめの3、4回して何も変化がない! としてすぐやめてしまう方がほとんどですから、この簡単なことが一番障害ともなっています。
抗うつ剤漬けで廃人に追い込まれる人があとを絶ちませんので、自分の潜在力をもう少し信じて頂きたいと願っています。