さて、7月10日の東京講演会も無事終了し、ホっと一息しているところです。
その中で、一つ読者の皆さんにも知って欲しいことがあるのでお話をしてみたいと思います。
漢字は、人間の智恵を超えた宇宙の叡智が凝縮されているということをいつもお話しています。
それで、例えば、 ‘撮影’ という漢字があります。
よろしいですか? この漢字をよ〜く見て下さい!!
何か ‘変’・・・・・ですよね。
あなたの写真を撮る時、カメラの視線は、あなたの影を撮ろうとしているのですか??
そんなことありませんよね!
あくまで、あなたの体そのものを写そうとしています。
では、この‘撮影’という漢字は、間違っているのでしょうか??
こんなところに、人間の遠く及ばない叡智がひょこっと顔を出しているのです。
この漢字の神秘を説明するために、角度を変えてお話しましょう。
ちょっと前に、ブラジル人のジュセリーノという男の人が、数々の予言をして、それが90%以上当たっているとされ話題となり、出版もされました。
阪神大震災やチェルノブイリ原発事故、F1レーサーのアイルトンセナの事故などを数年も前に予言し、日本大使館やウクライナ政府、セナ自身には、‘5月1日だけは走ってはならない’と事前に警告したとされます。
特に、2007年4月16日に起こったバージニア工科大学で起こった銃乱射事件は劇的な予言でした。
この事件が起こる8年も前に大学に次の警告文を送っていることが確認されています。
「あなたの学校で、スンヒという名の韓国人が、32人を殺害し、自分の犯行を説明するビデオをマスコミに送ります。その事件は、2007年4月16日に起こります。」
夢だろうと、どういう手段であろうとも、ここまで具体的に的確に当てるということは、科学的な手法では理解できません。
さて、・・・・問題は、ここからです。
ここまで具体的に未来に起こる事象を予知していたのですが、その予知の原理がどうであろうと、ひとつだけ動かしがたいことがあります。
それこそが・・ 「この世で起こる出来事の先に、同様の出来事が別の所で先に起こっている」
ということです。
でなければ、夢だろうと、超能力だろうと、その出来事を察知することは不可能だからです。
この私たちが住んでいる世界で起きている出来事とまったく同じことが起こっている別の世界があるのです。
この別の世界を、一部の人は、‘霊界’と呼んでいます。
仮に、この現実世界よりも先に起こる世界を霊界とすると、霊界が見える霊能者たちは、わたしたちの未来の出来事をある程度見ることもできるわけです。
ただ、その霊能者もまさかその人の力で霊界が見えているということは100%なく、あくまでバックの見えない世界の存在が見せているだけのことですが。
あくまで、人間そのものでは未来を読み通す力などあるわけないことを認識するとして・・・
ここでもうひとつ補足しておかねばならないことは、予言などは、みんなが騒ぎだすとまったく当たらなくなる、という法則もあるのです。
ジュセリーノもそうで、彼が、予言が当たるということが一般に知れ渡らない時には、本当にかなりの的中率を誇っていました。
しかし・・・・
騒がれ始めると、とたんにまったく的中しなくなり、今では、ほとんど当たりません。
いろいろな理由がありますが、それはまた今度詳しくお話しようと思います。
さて・・・・・
なぜ、このようなお話をしたのかですが、それは、わたしたちの本当の姿というものに気づかねばならないということなのです。
つまり、わたしたちは、今、生きている世界がすべてだと思っています。
しかし、先にお話しましたように、今、目の前で起こっている出来事は、本当は、数日前、数年前、数十年前に別の所ですでに起こっていた現象なのです。
ここに、かつて日本にいたある大物のエピソードがあります。
数人の人と談話中だったその大物は、ふと、何かに思いふけるかのように目を閉じたかと思うと、次の瞬間!!
「アっ!! 原敬がさされよった!!」
と、いきなり叫んだのでした。
周りにいるものたちはビックリして、「どうしたんですか?」 と問うと・・・
「原敬が暴漢に襲われよった!」
「それは、今ですか?」
「いやちゃう! これからやあ〜!!」
「それでは、教えてやらんといけませんなあ!」
「いや、もう遅い!! 霊界で起こったことは、必ず現界で起こる!」
「もう今から注意してもどうにもならん!」
という会話があったのですが、そのまさに2時間後、本当に19代内閣総理大臣・原敬は暴漢に襲われ亡くなったのでした。
この事実は、非常に重要な内容を含んでいます。
わたしたちは、見えない世界で起こっていることの投影された影なのです。
手でほおをつねっても確かに痛いと感じることは現実であり、実体のある存在だと信じて疑いません。
しかし・・・・
店主が、こうやってコラムを書いているということも、何時間前か何年か前に先に見えない世界では起こっていると考えられるのです。
そして、ある意味恐ろしいことは・・・・
その実体のないわたしたちの見えている‘眼’というものは、‘艮(うしとら)’の‘目’と書いてあるように
ちょうどオンラインですべてとつながっているインターネットと同様、自分の目に映っているものは、神霊とつながっており、潜在意識は、すべて筒抜けであるのです。
死後、エンマ大王さまの前に出た時、あらゆる罪を指摘された時、
「エンマ様、そんなことをしたなんてめっそうもありません。それは何かの間違いでございます!!」
と絶叫しても、自分の眼そのものが神なる‘艮の金神様’の目でもあるので、絶対言い逃れができないようになっているのです。
旦那様や奥様に内緒でしてきた○○も、すべて神霊はお見通しであり、
先の、大物も面会人と会って、その面会人は自分のことをいかに大きく見せようと必死になっていても・・・・
その面会人の背後には、人には絶対言えないようなはずかしい行状もすべて克明に映し出されており、その大物も声には出さないが、腹の中で笑っていたのです。
人はだませても、自分の潜在意識をごまかすことは何人もできないのです。
そして、わたしたちの住む究極の住まいは、この世ではないのです。
そのことを、皆さんは、こんな言葉で聞いたことがあります。
葬式の場で・・・「主人が‘生前’お世話になりまして・・・・」と。
なんでこの世で活動した場を‘生前’と表現するのか???
理屈的には、‘死前’お世話になりまして! が正しいはずですよね〜。
そうです! 生するその場所こそ、真にわたしたちの還る本当の場所なのです。
「 影 響 」という漢字もすべて、見えない世界の響きによってこの世が成り立っているという意味なのです。
このことに、どれだけの人が気づいているでしょうか?