先日、店主が親しくさせて頂いております秋葉さんという方と喫茶店で歓談していた時のことです。
先の鏑射寺の中村公隆さんのことをお話しながら、実は、その鏑射寺というお寺には、とても興味深い人のお墓もあるということを説明しました。
その人物こそ・・・・・知る人ぞ知る! あの江戸時代、最高の観相家と言われ、1000人以上のお弟子がいたとされる‘水野南北’その人だったのです。
水野南北という人が、日本第一位の観相家となった背景は、幼少から両親を亡くし、孤児として不遇の生活で荒れ狂い、牢屋にも入っていた矢先に、その牢屋に入ってくる人達の相が、どうみても普通の生活を送っている人達と違って見えることに不思議に思ったことから始まっています。
その自分の悪運を嘆きながら、相がある程度わかる人に会いに行って、未来の詳しい判断を仰ぐのでした。
しかし・・・・
「険難の相がありありと出ておる!! これでは、この1年のうちに命はないであろう!!」 と。
南北は、ビックリ驚き、思わず、「何とか助かる方法はないのか?」 と問うのでした。
すると、「その険難から免れるには出家するしかないであろう・・・!!」 と答えたのでした。
そこで・・・・
ある禅寺に赴き、どうか自分を入門させて欲しい!!と懸命に懇願するのでした。
しかし、その禅寺の僧は、あまりのブ男で、凶相にしか見えない不気味な雰囲気漂う南北を入門させようという気にはなれず、
「もし、おぬしがこれから1年間、酒を絶ち、麦と大豆の生活だけでやり遂げたならば、入門を許可しよう!!」
と、断る口実的に条件を課したのでした。
ところが・・・・
南北は真剣でした。 まさに命がけでそのできないであろうと思われた条件を見事1年間やり抜いたのです。
そして、1年ぶりにその禅寺に赴き、言われた条件を遂行したことを告げたのでした。
そのことにまず禅寺の僧は驚き、・・・・そして、南北の顔を観て、二度驚いたのでした。
すなわち、あの険難の死相が出ていたのが、・・・・・完全に消えていたからなのでした。
そして、南北は相学の道を究めるために諸国に出向き、あらゆる人の相を観て、誤差のない100%の判断の可能性を模索し続けたのでした。
ドンドン精中度が増す中、・・・・しかし、ある時期よりそれ以上に上がらなくなってしまったのです。
彼は悩みました。 どうしても100発100中にはならない・・?? なぜなんだ!???
そこで・・・
ひょっとして、顔だけの判断では分からないことが隠されているのかもしれない!??? と思い、
なんと! 床屋の弟子として3年、お風呂屋に3年、火葬場の仕事に3年の計9年間、人の全身にとどまらず、骨まで観察の対象として、プロの意地にかけて徹底的に調べ尽くしたのでした。
しかし・・・・
そこまで徹底的に調べ尽くしても、まだ100%の判断までには行きつかぬ壁が立ちはだかっていました。
その南北が50歳を迎えようとした時のことでした。
ある神道家とのご縁で、伊勢神宮の五十鈴川のほとりで、命がけの断食を決行し、外宮(げぐう)にて、積年の悩みを一瞬で解決する啓示を受けてしまったのです。
それこそが、伝説に残る ‘食の尊さ’ の一厘だったのです。
つまり、いかに貧相であろうとも、食事を大切にし、身分相応もしくは慎んでいるものは、そこそこの生活を可能にし、いかなる富貴の相の持ち主であろうとも、ぜいたく三昧、美食に明け暮れ、食事を粗末にしているものは運を破ってしまっている・・・ということを悟るのでした。
それ以降、相を観るときには、まず、食生活の状況をつぶさに聞きだし、そして、相をプラスして判断すれば万に一つの誤差もなかった! と言わしめたのです。
さて・・・・
ここで、店主の言いたかったことは、南北のことを知っていた方でも、その南北ほどの情熱が皆さんにありますか? と問いたいのです。
床屋に3年、風呂屋に3年、火葬場に3年も道を究めるために精進できますか???
南北の50歳当時は、おおいなる財も築いていたにも関わらず、それでも死を覚悟してまで、相法の真実を知りたい! と願ったのです。
南北からは、‘食の大切さ’以上に‘情熱の大切さ’を学ばなければなりません。
このような傾向は、店主の限りなく学んできた文献では、明治、大正、昭和の初期までの人にはありました。
しかし、時代が下るにつれて、道を極めようとする人のレベルは格段に下がってきてしまっており、最近の健康に関する書籍は、ほとんど参考にすらならない傾向があります。
なぜなら、ほとんどが、その場しのぎの‘対処療法’に尽きてしまう傾向が如実にあるからです。
道を究めようとする南北の命がけのたゆまぬ情熱があったからこそ伊勢の神霊も答えたのであって、
「どうか100発100中の判断法を教え給え!」 と祈願しただけでお答えを頂けることは、100%あり得ません。
これこそ、精進している過程がもっとも大切だと言われる所以です。
ところで・・・・
この運命を改善できたというテーマについて、こんなこともお話しました。
かつて徳島市長、ポルトガル領事をされていた三木俊治先生とお会いして歓談した時のこと・・・・・
たまたま、見えない世界の話題になってしまった時、先生は、
「君、そんなことを信じるかね! しかし、わたしもちょっと前に不思議な夢を見たんだよ??!!」
「体調が悪く、もう臨終が近づいたと感じていたある日、夢を見て、それがある山道を歩いていたんだが、その時、上からとんでもない大きな岩が自分の頭の上に落ちてきたんだよ!!」
「ア〜もうダメだ!! と思った瞬間、目の前に坊さんが現れて、サっと自分を抱きかかえて救ってくれたんだ!!」
「っと思いきや! 今度は、なぜか昔おじいちゃんが立てた大きな観音像の前に立っていたんだよ!」
「その時以来、もともと信仰心などなかったんだが、1年に1回くらいその観音像の所に手を合わせに行っているんだよ!!」 と。
そのことを聞いた瞬間、店主は先生に言いました。
「先生! それは恐らく、その夢を見た時こそ、本来の寿命が尽きていた時だったに違いありません!」
「しかし、それを先生のおじいちゃんが観音信仰により人々のよりどころとなることを作ったという功徳によって、その遺徳が先生の寿命を長らえさせたと考えます。」
「ホ〜! そうかね!! ・・・・」
という不思議な話をしてくれました。
そのようなお話をしている中で、秋葉さんは、まったく同じような話をされました。
「内藤さん! この前、自分が死んだ夢を見ましてね!! ありゃ〜何の意味があるんですかね〜??」
と言われた瞬間、店主は確信を持ちました。
「秋葉さん、それは、その夢を見た時が、秋葉さんの本来の寿命だったかもしれません。」
「しかし、秋葉さんは、アルコール中毒で自殺をしようとする人、わめき散らす人、家族に暴力をふるう人たちを奥様といっしょに身を呈して10年説得して救ってきたではありませんか」
「御自身がアルコール中毒になって、病院の中で暴れまわっていた時の気持ち、家族の悲しみを誰よりもわかっているから、保健所も県も秋葉さんにいつも助けを求めてきて、それに対して貴重な時間もガソリン代もすべて無料で10年という長きに渡ってご奉仕してきたからこそ、本来の寿命をはずして、延命できたという夢に違いありません。」
「それこそ、三木先生と同じではないですか・・・・!!」
「三木先生が先祖の余徳で生かされ、秋葉さんは、御自身で運命を改善できた人なのです!!」
「この先祖という他力の‘縦の徳’と、御自身による自力の‘横の徳’が人間を生かしているんです!」
人間の運命を握る‘徳’というエネルギーは、お釈迦様、イエスたち聖人たちも希ったものであり、運の根源でもあります。
しかし・・・・
最近の例で、本来の定まった寿命を改善し、長らえるという事例が身近に起こったということを知って、本当にありがたいと感じた次第です。
ちなみに、秋葉さんという方は、その謙虚で誰からも愛される人柄から、‘ポカリスエット’や‘ゴキブリホイホイ’で有名な大塚製薬の初代総帥である大塚正士(まさひと)さんが最も愛した人物なのです。