店主 内藤
世の矛盾、スジの通らない事に店主・内藤が吠える!
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痛快!店主のひとりごと
店主のひとりごと Vol.157
すべては進化のために
2010.07.07

前回は、‘許す’ということの偉大さをお話しました。

許すという心の対極に‘恨む’という心がありますが、この恨むという感情は、人間以外の他の動物でも持っています。

‘オルカ’という映画にもあったように、シャチが人間に復讐するという内容もあったくらいで、死ぬまで絶対に忘れていないのです。

しかし・・・・

この恨むという感情は、いかに、自分や被害にあった対象に正統性があろうとも持ち続けた場合、それこそ暗闇のどん底に落ちてしまいます。

世間でも、感謝の心を持てば幸運が訪れる、ということはよく言われることですが、恨んで幸運が訪れた!という話はほとんど聞きません。

では、なぜ、恨む心に幸運は訪れないのでしょうか??



これは、やはり、思いのエネルギーの作用と反作用という原理に基づいているのかもしれません。

つまり・・・

愛すれば、愛される、生かせば、生かされるというように、恨めば、恨まれるというエネルギーの反転がそのまま自分に返ってくるためだと思われます。

恨むというネルギーが善とか悪など関係なく・・・・


ですから、自分が正しいとか正しくないという問題など関係なく‘恨む’という感情は、自分を墓穴に入れることになるので、恐ろしくて恨めなくなります。


ところで、・・・・

先の‘許す’という内容についても、実は、‘赦す’とか‘恕す’など、‘ゆるす’という文字にもいろんな意味が込められています。

‘赦す’という文字に‘赤’の色が入っていますが、この真の意味を知っている方はスバラしいの一言に尽きます。


広辞苑等で調べてもまずわからない深い内容が横たわっているのですが、これもまたいつか公開したいと思います。

そして、‘恕す’も孔子の論語に出てくる内容ですが、これも人間を深く観察した孔子ならではの意味で、実に深いものがあります。


この‘恕’とは、一言でいえば‘生かす’という意味で、その人の足りないポイントを足す、という単なる道徳論ではない、その人に合わせた究極の教えといえます。


孔子やお釈迦様は、単なる道徳論を言ったのではなく、あくまで、対応する人を真に生かすための言葉を出しており、対応する人すべてにまったく違う内容のことを話しています。


ある人には、親孝行をしろ! ある人には、親はどうでもいいから自分の好きな道を歩め!  と。 


これは、整体道を極めた野口晴哉(はるちか)さんにもいえることで、野口さんは、下町の貧しい庶民からもお金をもらっていた!ということで、その後の弟子たちも貧しい庶民からおカネをもらっていたのですが、・・・・


それは、野口さんの心の中がまったく読めない弟子たちの愚かさともいうべきものだったのです。

野口さんの真意は、貧しい庶民といえども、江戸っ子が無料で施術をしてもらったのでは、メンツ(プライド)が立たないだろうから、あえて料金を頂いてメンツを立たせていた、ということなのに、弟子たちは外見だけの行為をマネしているだけなのです。

ですから、孔子が「親孝行をしろ」と言ったり、「親なんてどうでもいいから自分の道をすすめ」と言ったりと、まるで真逆のことを人によってバラバラに話すので、どれが真実の教えなのか?と弟子たちは困り果てているわけです。

このような内容は、宗教団体の方々によく当てはまります。

教祖様や経典以外のことは、すべて異端扱いにする人もよく見受けられたからです。


とにかく、言われた言葉や書かれている文字をそのまま守ろうとしているのです。


環境や立場がそれぞれ違っている人達がいるのに対して、1つの言葉が全て当てはまるということ自体有り得ないのです。

ですから、以前から説明しているように、真の中庸が何なのかを考えることは重要なのです。

よろしいですか?

自分に必要な本当の教えは、本などの固定化された活字にはなく、周りの人の何気ない言葉、刻一刻と変化している自然現象にすべて包含しているのです。


どんな教えも、すべては、自分にとって‘ヒント’であり、‘アドバイス’であり、絶対視すればするほど他を見れなくし、偏見の塊となってしまうのです。



今、そこに真正のお釈迦様やイエス・キリストが現れて、「汝、○○しなさい」と言われたとしましょう。

しかし、・・・

まさか、そのまま真に受けて言われたままのことをしてはならない!ということを肝に据えておいてください。

でなければ、自主性、主体性のない単なる操り人形となってしまうのです。

これを過去の聖賢たちは、注意し、警告してきたのです。

あくまで、自分が考えた後の行動ありきなのです。



この世の中で、もっとも尊いことの一つに、自分の足りないところを改善し、ドンドン進化していくということがあります。

その進化をもっとも妨げるものが、‘絶対視するこころ’といえます。


すべては、ヒントであり、一通過地点なのです。

ただ、自分にとって必要な要素が、今、周りに起こっているその現象なのです。

店主などは、1週間または2週間ごとにテーマがドンドン変わっているように思えます。

それは、ある出来事が集中的に重なっていたり、人から聞いた声が、いやに頭の中に響き、いつまでも残っている、という感覚があるからです。


ということで、皆さんも、ドンドン進化していき、いつ死んでも悔いを残さぬような毎日を送って頂きたいと思う次第です。

追伸:今週は、ついに浅草で講演を実施しますが、いろんな思いが寝る前の布団に入っていると走馬灯のごとく現れています。楽しみです。