店主 内藤
世の矛盾、スジの通らない事に店主・内藤が吠える!
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痛快!店主のひとりごと
店主のひとりごと Vol.152
眼に隠された秘密
2010.05.31

昼間、あるレストランに入って食事をしている時のことでした。

前の席に座っていたかわいらしい2、3歳の女の子が、キョロキョロ周りを見渡していたのですが、ふと後ろを振り向き、店主の目と目が合ってしまったのです。

その女の子は、何やら不思議そうな顔をしてじ〜と店主の目を見るのです。

店主も、その女の子の目がとてもきれいで、黒く輝く瞳がいきいきとして思わず見とれてしまっていたのでした。

‘なんて生命力あふれるきれいな目をしているのだろう’と、しばし感動して何も考えることができませんでした。

‘本能’がそのまま顕れている間脳の状態が目の輝きに象徴しているかのようです。

そして、‘どうして、年とともにこの輝きが失われていくのだろう?’と、後に寂しさも感じながら・・。



この‘黒目’の神秘は、実は、医学的にもそこそこ研究されており、‘光彩学(イリドロジー)’という名で非常に信憑性の高い体の診断技術にも応用されているのです。

すなわち、瞳の光彩に表れるいろんなシミ、キズのようなものによって大腸など内臓の状態、疲労度を的確に捉えるというものです。

特に、目は脳神経系と肝臓に密接な関係があり、人間の中枢部に直結する健全度の判断ができるという特性があります。

手相や爪による健康診断もある程度の的確度があると思いますが、脳神経に直結する光彩学は、それを何段も上回る可能性があるのです。


そして、目の神経というものが脳や肝臓に直結するということは、目の疲れは、脳や肝臓にも良くない刺激を与えてしまうともいえます。

ということは、‘逆もまた真なり’で、目の神経を疲労させないように心掛けることは、健康維持には大いに貢献することにもなり、もっというなら、視神経を鍛えることは脳や内臓強化につながることにもなるのです。


では、その視神経を鍛えるには一体どうするのか??

ハイ! その視神経の強化に有効なものが、‘いつもあまり動かしたことのない目の動きすること’なのです。


皆さんが、毎日使っている目の動きというものを思い出して頂くとどうでしょうか?

眼球をある程度横や斜めに動かすことはあっても、頭を動かさずに真下や真上に眼球だけを動かすという動きはしていないと思います。

そうです!  視神経の運動というものは、頭を動かさず目を真上に15秒間くらいギューと凝視するということをすれば良いのです。

実は、このヒントを与えてくれたのが、ヒマラヤの大聖者・ババジなのです。

ババジは、黄金の宮殿を瞬時に空中より出し、そして、瞬時に消すこともできた伝説的な聖者なのですが、彼に会った人の絵による姿が描かれているのですが、その絵が何とも変!?としか言いようのない異様なものだったのです。

普通、目は正面を向いているものですが、ババジの姿は目を真上に凝視している姿で描かれているのです。


はじめて見る人は、何ともいえない違和感を覚えることでしょう。

( ※ ババジについては、詳しくはWikipedia「ババジ」で確認されるとよいでしょう。)

しかし、・・・

この絵に大聖者の秘密が隠されていると店主は考えていたのです。

人間の持つ能力を開花させる秘密を握るのが‘松果体’というところなのですが、この松果体は、光を集約し、視神経と深く関係しているのです。

その視神経を可能な限り統御していたのがババジであり、人間の持つ可能性を最大限まで開花させた秘密を握る人物ともいえるでしょう。

視神経の統御は、脳の活性、特に潜在意識の解放に密接に関与しているのです。


ところで・・・・

目のことを‘眼’とも書き、眼力(がんりき)と呼びますが、この音にも秘密はあります。

ガンは、岩(ガン)であり、そのものズバリ、癌(ガン)でもあり、一言でいえば‘固い’という意味であるのです。

ガンのことを‘キャンサー’と英語で言いますが、これは蟹の甲羅のように固い、ということで使われており、ガンの悪性度は、リンパへの侵入度に加えて‘固さの度合い’でもあるのです。


そして、そのガンは究極の陰性のものであり、その最悪のものの特効薬が、究極の陽性、すなわち、岩の‘ミネラル’でもあるという暗示が隠されているのです。

すべての事象には、表があれば必ず裏もあるというように成り立っており、最悪のモノには、必ず、最高のモノも表裏一体に重なっているということなのです。

最悪の毒は、最高の薬ともなり、最高の薬もまた最悪の毒ともなりえるということを・・・。


このように、‘音’というものは、実に深い真意が隠されており、人智を超えた秘密にアクセスできるのです。

そして、目は視力であるけれど、見方、視点のことをあえて‘目’ではなく‘眼力’というように、見方が固くなるとガンになったり、自分自身が固い思想の縄で縛られ固くなるということまで隠されているのです。

ですので、・・・

見方は柔軟になり、観自在となり、観自在菩薩の‘眼’にならなければならないのです。