店主 内藤
世の矛盾、スジの通らない事に店主・内藤が吠える!
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痛快!店主のひとりごと
店主のひとりごと Vol.140
観音の位
2010.03.17

本日は、3月17日で、明日3月18日は、観音様の縁日です。

そこで、一般の方々が理解していない‘観音’という意味について少し解説したいと思います。

ちなみに、これは決して宗教上の意味だけの話ではなく、わたしたちの生活そのものにも当てはまりますのでよく理解して頂きたいと思います。


それでは、この観音という意味を紹介しようと思ったキッカケのお話を・・・。

少し前、お客様から一本の電話があり、その内容は真剣そのものでした。

その内容とは、毎日、ものすごい強迫観念と不安感に襲われるというもの。

相当追い詰められている様子でしたが、この方とお話をしている時、すごく気付かされたといいますか、これぞまさに天の声だと感じたのでした。

それは、これらの感情を持っている人たちは誰よりも‘観音の位’に達しやすい状況に近いということに気付いたのです。

いきなりこう言ってしまうと何のことかわからないでしょう。


少し説明をさせて頂くと、例えば、‘禅の世界’では、瞑想、黙想をしている時、そこそこ境地が上がってくると、必ず、‘魔境’というものが現れるとされます。

いわゆる、仏が幻として現れたり、恍惚の感覚になるというものです。

しかし、これで悟ったと思ってしまうと、その瞬間、真の魔にやられてしまうのです。

そこで、禅では「仏にあったら仏を殺せ」という戒めが説かれているくらいです。

これは、自分の見えているもの、感じているものをすべて真実として思い込み、抱えてしまうことによって発生する魔なのです。

そして、今、脅迫観念、不安感に襲われている方は、この禅の境地とまったく逆の立場だけで、本質はまったく同じなのです。


「なんでこんなことを考えてしまうんだ! なんでこんな恐怖感が起こってしまうんだ! これでは、いけない!」と、無意識に沸き起こっている感情に対して‘これではいけない’と何とか制止させようとしている‘もう一人の自分’がちゃんといるのです。

つまり、通常のわたしたちの感情のように、ただ我を忘れて、怒ったり、不安感という感情に‘支配されている’のではなく、「これではいけない!」という‘もう一人の自分’の存在が強いのです。

‘観音’という名前の意味を調べたことがある人は何人いるでしょうか?


‘観音’とは、‘自分を観察したるにすぐれたるもの’というのが真の意味なのです。


ズバリ、‘観音の境地’とは、禅の魔境のように人の心を誘惑するものや、その反対の脅迫観念、不安、怒ったり、悲しむという感情に支配されるのではなく、

浮かんでくる感情や映像に執着したり、否定するのでなく、あるがままに流していくという立場の‘もう一人の自分’を作ることができた状態をさします。

それは、真の不動心の獲得であり、‘観音の位’に達するということなのです。


ここで最も重要なことは、いろんな現象が起こっている毎日の日常生活の中で揺れ動かない心を身につけることなのです。

普段見る観音様の像をよく観て下さい。

あの半開きの眼は、すべての物事を‘観察’している眼なのです。

そうです、周りの外界に起こっていることだけでなく、自分の心に沸き起こってくる感情をも・・・

これが、蓮の花の上に座っている仏たちの象徴でもあるのです。

蓮は汚い泥水の中できれいな花を咲かしますが、あくまで泥水とは日常の環境を意味するのです。


日々の生活の中でも、ちょっとしたことですぐ悲しんだり、怒ったりすることは、内臓にもダメージを与えますので、感情を冷静に観察するもう一人の自分の存在を強く作っていくと、それが体にも精神にも最大の恩恵を受けることになるのです。

ですから、観音とは単に拝む対象なのではなく、あなたが観音にならなければならないのです。